北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

北京人情

訳あって、ここずっと松葉づえを使っている。この生活がどれくらい続くのかは不明。医者も「わからない」と言う。

不便なことも多いけれど、悪い事ばかりでもない。
まず、市場で値段をふっかけられることが激減した。
まあ、「いじめちゃいけない気の毒な人」に分類されているからだろうけれど、単なる同情以外にまだ理由はある気がする。

市場で服や野菜を売っているような人は、農村出身者が多い。彼らは都市戸籍の住民との不平等を常に感じているからか、都市の恵まれた人にならふっかけてもいい、と思っている傾向はなきにしもあらず。だが、身障者であれば、話は別。同じく不平等を味わっている人なんだから、ということじゃないだろうか。

都市に出荷する野菜に農薬をバンバン使っていた農民が、とがめられた時「いいのよ、街の人は病気になっても治すお金があるんだから」と言ったという逸話を思い出す。この話を聞いた時は不平等感が生む「腹いせ」願望の強さに驚いたが、裏返せば、差別された者同士の仲間意識もあるはずだ。

実際、道で松葉づえを縛りつけた自転車が壊れて立ち往生していた時、まっ先に駆け付けて治してくれたのは、近くで荷車を引いていた、いかにも貧しそうなおじさんだった。もちろん、他の人だって助けてくれただろうとは思うけれど、もし私がいかにも裕福そうな健常者だったら、この人こんな風に駆けつけてくれただろうか?とつい思ってしまった。

あとは、「身障者」=「外国人ではない」というイメージがあるからだろう。もちろん、そうとは限らない訳だけれど、相対的にいえば、やはり北京のような段差だらけの街で生活している外国人の身障者は少ない。だから、松葉づえをついている時点で、外国人かな?という疑いが消えるのだろう。

地元の市場はごまかせても、外国人向けの市場に行けば、目の肥えた売り子さんからすぐ日本人と見破られ、ふっかけられることが多かった私。でも最近は値段交渉がずいぶんと気楽になった。

もちろん、腹が立つこともたくさんある。
例えば、近距離の移動と勘違いされるため、タクシーが止まってくれないことが多い。最近、タクシーの乗車拒否を規制する動きがあるが、効果は不明だ。

でも、確実にいいこともあって、何だかこの街で苦労しながら必死で生活している人たちの仲間に入れてもらえたような気がする。

実際、松葉づえを後ろに縛り付けて自転車に乗っていると、三輪リヤカーで商売しているおじさんの気分。

いや、私なんてまだまだ甘っちょろなんだけど。