北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

トリのネコババ

またまたニワトリネタを一つ。

ことの始まりは、目の周りが腫れた相棒が、めずらしく進んで医者に行ったこと。
病院で薬を処方されたまではいいものの、ドーランのように白い塗り薬で、それを目の周りだけ毎日、塗らなくてはならない。
寝ている間だけならまだしも、昼間も、だ。

その結果、相棒はいわば目の周りだけが白い、逆パンダに。

まさに、伝統劇に出てくる下級官吏、「七品芝麻官」にそっくりだったので、
笑ってはいけないと思いつつ、つい
「ゴマ粒役人!」
とからかっていたら、相棒、とうとうその気になってしまったのか、
「故宮に行こう」という。

ただ、「故宮に行く」といっても、私たちの場合は高いチケットを買って故宮の中に入るのではなく、そのお堀沿いを巡るだけだ。
昇進の機会を首を長ーくして待ちこがれた下級官吏じゃあるまいし、と思うものの、
春節休みの故宮周辺はガラガラなので、かつての「紫禁城」の雰囲気が想像できて、確かにちょっと面白い。
というわけで、「たまにはいいよね」と出発。

だが、最近はどうもニワトリにとりつかれてしまったのか、
かつての皇城の城壁跡まで行ったところで、脱走ニワトリを発見してしまう。

さすがに隣人の家からではないだろうが、
きっと春節のごちそう用に買われたものが、逃げ出したのだろう。

気になって追いかけるものの、どうすればいいのか分からない。
オロオロしていると、犬の散歩をしている夫婦が歩いてきた。
当然ながら、犬が吠える。
気づいた飼い主が、
「お、ニワトリだ」と驚く。

どうするのかな、とそっと見ていたら、そのおじさん、こともあろうに
ヒョイとニワトリを拾い上げて、連れ去り始めた。
「あれ?いいのかな?」
あっけに取られている私になど気づかぬまま、おじさんはスタスタ。
一緒に散歩しているおばさんが、「やめなさいよ」と強くたしなめるのでホッとするが、
その理由は
「鳥インフルエンザが怖いじゃないの!」

だがおじさんは、何度も阻止を試みるおばさんなど相手にせず、
「大丈夫、大丈夫」と前進。

「やめるべきなのは確かだけど、鳥インフルエンザが理由でいいのか?
病気がなければ持ってっちゃっていいのか?」

頭が混乱する私。
ここは被害者に追いかけさせて、悪しきネコババを食い止めるしかない、と
ニワトリの現れた方向に自転車を進め、こう叫ぶ。

「誰か、ニワトリを探してませんか?」

だが、通りすがりのおじさんは、みな驚いたように足早に立ち去り、
近くのおばさんも、ぎょっと目を見開いてこちらを見る。

その異常な反応を目の当たりにして、私はハタと気がついた。
中国語で「鶏」は「妓(妓女)」と音が近いので、ニワトリはよく売春婦の暗喩として使われる。となると、私は道端で、「誰か売春婦欲しくない?」と呼び掛けていたことになる。

これでは、私がちょっとやばいおばさんに見えても仕方ない。
前を走っていた相棒にその話をしたら、
「まあ、少なくとも頭のおかしい人には見えただろうな」
と大笑い。

人助けにこんな落とし穴があったとは……。
どこかの監視カメラなんぞに映り込んでいなければいいのだが。

そして、冷や汗をかきつつも、ある小説の表現を思い出す。やっと身請けされたと思ったら、息つく間もなく、嫁ぎ先でさらに悲惨な運命に見舞われた妓女を描写したものだ。
「ぬかるみを飛び出したと思ったら、また別のぬかるみに跳び込んでしまった」
まさに今回のニワトリと同じじゃないか。

まあ、どの鍋で煮られるにせよ、煮られる運命からは逃げられないだろう。
こうなるともう、自棄になって、ニワトリの冥福を祈るしかない。