北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

怒れるおばちゃんたち

ちょっと前のある日に起ったこと。

最初に断っておくと、さすがの北京でも、毎日こんなことばかりが起こっているわけではなく、
たまたまこの日にハプニングが集中しただけだ。

その日の朝、私はまず郵便局に郵便物を出しに行った。
最近は、郵便局で手紙を出す人がだいぶ減ってしまったためか、局員でも何グラムの郵便物にいくらの切手が必要か暗記していないことがある。

この時もそうで、受け付けた局員が他の局員に
「ねえ、日本まで××グラムだといくら?」と尋ねていた。

ひと昔前なら、手に持っただけで自信たっぷりに「あーこれならいくらね」と言ってくれるおばちゃんなんかがいて、しかも時々ちょっと軽い方に間違えてくれて、得をしちゃったりしたのにな、と懐かしく思い出す。

だが、時代は変わった。聞かれた他の局員もすぐには分からなかったらしく、さらに待たされそうだったので、私はしびれを切らして言う。

「この重量なら何元のはずだよ」

局員は半信半疑の様子。

「郵便局のHPで調べてきたんだら、間違いないって!」

やがて確認完了、私が言った通りの切手代を払って用事が終わる。
ほっとしたところで、隣で小包を送ろうとしていたおばちゃんが話しかけてきた。

「さっき『日本まで』って言ってたけど、あなたもしかして日本人?」

そこまではよくあることで、私も素直に「そうだよ」と答える。
すると、待ってましたとばかりに、そのおばちゃんの話が始まった。

どうもそのおばちゃんの務めている会社は日本の会社とつきあいがあるらしく、ちょうど数日ずつ中国と日本の互いの会社を訪問しあったばかりだという。

「実はね、私も1980年代に、一緒に日本に行こうって、同級生に誘われてね」
「へええ、80年代ってだいぶ早いね〜」
「私は行くのやめたんだけど、同級生はやっぱり行くっていうの。それで、×万ドル貸したのよ」
「わあ、それって当時はすごい大金だったんじゃない?」

「今でも私には大金だけど」と心の中でつぶやきながら、私は相槌を打つ。
すると、おばちゃん、急にヒートアップ。

「でもね、そのお金、今もまだ返してもらってないのよ!その同級生も、日本に行ったまま帰ってこないのよ!」

おおおっそれはきつい、と私はのけぞる。おばちゃんの目は引きつっている。
もう30年近くも経つんだろうから、返す気なんてないに違いない、と察し、慰める言葉を探しあぐねる私。

同時に、
「何で、よりにもよってこんな所で30年間ため込んだマグマを放出?」
と頭の中が疑問符でいっぱいに。

きっと「日本」という言葉が、何かのスイッチを入れてしまったのだろう。日本の仕事相手ともめたりしたんだろうか?
いずれにせよ、この状況はやばそうだ、と見た私は後ずさるようにして、そそくさとその場を去った。

割り切れない気持ちを切り替え、次に行ったのは病院の歯科。
待合室で大人しく待っていると、
何とどこからか現れた私服のおばちゃんと白衣の天使さんの間で大喧嘩が始まった。

お互いに頭に血が上っているので、もう二人の言葉からは喧嘩の理由が推測できない。
最初、私はおばちゃんに精神疾患があるのかな、と思ったのだが、
看護婦さんの一歩も引かない堂々とした喧嘩っぷりから判断すると、どうもそうではなさそうだ。
むしろ、おばちゃんは看護婦さんにとって、譲歩しがたいクレーマー患者か、相当ウマの合わない同僚、といったところだろう。

ついそう思ってしまった理由は、看護婦さんの方が、そこそこ気がきく人だったからだ。

病院でいちばん気まずいのは、待合室で名前を呼ばれるたび、他の患者さんに日本人と気づかれ、視線を集めたり、最悪の場合はひそひそ話をされたりすること。

一度目に呼んだ時、その事に気づいた看護婦さんは、二度目の時、どうにかせねばと思ったらしい。何と、ちょっと戸惑いながら、

「ええっと、そこの『同志』!」

と呼んだのだった。『同志』なんて、今はほとんど死語。
この言葉で呼ばれるなんて何年ぶりだろう?
苦笑しながらも、私はその気づかいを嬉しく思った。

そんな看護婦さんが、今度は急にすごい剣幕でおばちゃんと怒鳴りあっているのだから、度肝を抜かれた。
やがてさすがにおばちゃんも、そろそろケリをつけねばエンドレスだと思ったらしい。

もしくは自分の劣勢に気づいたのだろうか、ののしり言葉を言いながら、後ずさりを始める。

「お前なんか、死んでしまえ!」
「どこにいっても、そこで死んでしまえ!!」
「トイレに行ったら、トイレで死んでしまえ!!!」

と訳のわからない呪いを連発しながら、私の目の前をソロソロと後ろ歩き。
言っていることはかなり可笑しいが、おばちゃんを刺激してもいけない、と、
私は笑いを必死でかみ殺す。

おばちゃんが角を曲がり、やっと待合室に静寂が戻った時、私が手招きされた。
さすがに気まずいらしく、私を診察室へ導く看護婦さんの態度はかなり優しい。

これを「漁夫の利」と言うのは言葉の誤用かもしれないが、
こちらの病院では邪険にされることも多いので、思いがけぬ厚遇にちょっと得をした気分になる。

それにしても、たった半日で二度も「怒れるおばちゃん」に会うなんて。

怒る理由にとても説得力はあるけど、怒る場所と相手を間違えているおばちゃんと、
怒った言葉の殺気は並でないけど、怒る理由が不明で共感を得られないおばちゃん。

そしてふと以前、南方から北京に来た友達が、「喧嘩の仕方でその土地の人の文化レベルが分かる」と言っていたのを思い出す。

その友達は、同じようなののしり言葉を互いに繰り返すだけで理論の応酬がない喧嘩を見ると、どんなに憧れを持って訪れた土地でも、「大したことないな」とがっかりしてしまうらしい。
そして、彼女の故郷の人の口喧嘩は理屈(屁理屈?)がどんどん展開していくので、聞いていても面白いという。

その時、土地は同じでも、そこにいる人はさまざまのはずだ、と私はその友達に反論したかった。
でも、この日ばかりは私も、しっかりと肝に銘じた。

この国ではしばしば、喧嘩は野次馬に捧げるエンタメなのだ。
いくら腹が立っている時でも、ちゃんと頭を働かせながら物を言わないと恥をかくな、と……。