北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

レイモンド・カーヴァー『大聖堂』

別に四六時中本を読んでいるわけでもないのだけれど、最近読書運がいい。

今日にいたっては、うまく言えないけれど、こころが震えてしまうような短編に出会ってしまった。

それはレイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役に立つこと」そして「コンパートメント」だ。いずれも中央公論新社刊の村上春樹訳『大聖堂』に収められている。

こんなに現代人の孤独と心の機微、希望と絶望を鮮やかに描けるのか、と思った。
「ささやかだけれど、役に立つこと」
は、不意に訪れた不幸によって、似た悩みを抱えた他の人間とのつながりに気付き、希望と慰めを得ていく母親の物語。
とくに、無愛想なパン屋のおじさんの本音がわかるラストが素敵。これを読んでしまったら、もう中国の国営商店的に無愛想な店員さんを憎めなくなりそうだ。

「コンパートメント」は、もっと怖くてぞくぞくした。息子をどうしても愛せない父親の物語なのだけれど、その父親はまるで罰せられるようにすべてを失って、わけのわからない方向に走り出してしまう。
先回の話題にも通じるけれど、失われていく人間のきずなというものを、シュールなまでにヴィヴィッドに描いていて、男とともに狂気の瀬戸際にいる感さえ覚える。がけっぷちで今にも足をすくわれそうになる感じだ。

まだ本自体は最後まで読んでいないけれど、これまで読んだ5編に共通していたのは、主人公たちがおしなべてちょっと不幸で、かけがえのない人とのつながりを失いつつあること。そんな彼らに共感してしまう自分が怖くもあるけれど、やっぱり年をある程度重ねないとわからない小説ってあるんだろうな。