北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

移民をめぐる2冊

実家の事情で、これまでなかったほどの長期帰省中。じっさい高校卒業以来だと思う。

私は今実家がある場所には高校三年生の時に住んだだけなので、変化といっても、だいたいの印象にすぎないのだけれど、やっぱり変化はあるようだ。

なかでもいちばんの変化は外国人が増えたことかな。もともと日本一ブラジル人の多い町といわれているけれども、最近はインド系の人もよく見かける。買い物に行ったりしたとき、明らかに外国の人とわかる買い物客に出会うことも増えた。

うちから一番近いスーパーには、ブラジル食品コーナーがあって、かなりの売り場面積を占めている。線路を越えたすぐのところに南アメリカ学校もある。

でも、彼らと親しく交流する機会はそれほどない。残念だな〜と思っていたら、親戚の日系ブラジル人のおばに当たる人が同じ市内にいることがわかった。その人はブラジルに住んだことはないということだけれど。やっぱり世界はどこかでつながってるんだね。

最近は絆って言葉がはやっているようだけれども、日本にいる外国人、お隣の国の人々、遠い国の人の暮らしにまでつなげて考えている人はどれだけいるんだろう、と思う今日この頃。ほんとは遠い遠い親戚かもしれないのに。

先日、カカオ豆が過酷な児童労働を経てチョコレートになっていて、それを先進国が不当に安く買い上げている、という報道を目にした。そして、これからはフェアトレードとか、自分が消費しているものはどこから誰の手を経て来たのだろうとか、よく考えてものを買わなきゃ、と反省。これまでは、うすうすわかっていても目をつぶっていたんだよね。どうせお金が有り余っているわけでもなし、使うときはよく考えて使わなきゃ。

実は昨年末、大切な絆で結ばれていたと思う母を失ったのだけれど、そんなこんなで、2012年からは、もっといろいろな社会的な絆を意識して暮らしていこうと思います。

そんななか、最近読んだ2冊の本が印象的でした。

ひとつは、
ヘニング・マンケル「殺人者の顔」

。スウェーデンの人気推理小説家の代表作。でも、推理そのもの以上に、1989年当時のスウェーデン社会の描写が面白い。急速に移民社会となり、移民とスウェーデン系市民との間との摩擦が激化していった時代に、移民たちを自分たちと同じ人間だとみなすがゆえに苦悩するヴァランダー刑事らの心中は、ほんとうに今の日本でも共感を呼ぶのでは、と思う。一方で、老いた家族の面倒をどう見るか、という多くの人にとってきわめて身近な問題も描かれていて、その意味でも親しみがわいた。

もうひとつは
ジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」

インド系アメリカ人作家、ジュンパ・ラヒリの短編集。女性の視点、しかもアメリカに行ったアジア系女性の視点があるせいか、内容がどれもとても身近に感じた。とくにはじめてアメリカで生活を始めるインド人男性の様子を描写した一編「三度目で最後の大陸」は、まるで自分バージョンが並行して頭の中でフラッシュする感じだった。
不治の病気を抱えた女性や、戦乱時に家族との連絡がとれなくなった人などの社会の弱者に対する視点も、とても共感できる。
先進国と発展途上国の間の文化のギャップ、人々の意識の違いを、自然で無理がなく、生活感や臨場感のある表現で浮き彫りにしているので、たいして大きな事件は起こらないのに、ついつい作品の世界に入り込んでしまう。しかも心理の描写もけっこう巧みで、読みごたえばっちりだ。

社会情勢やら、国際問題やらについて、いろいろな知識をもつのも大事だけれど、こういうすぐれた小説を読んでおけば、人間としてもつべき基本的な視点がぶれず、偏った見方に陥る危険が減るんじゃないか、とふと思った。

かといって、私の視点が偏っていないか、というと、そこまで自信はないけれど……