北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

「冥土めぐり」「楊梅洲」「我11」「一一」

まずはフェイスブックにも投稿した部分ですが、

 I had a chance to read a short story of an author Maki Kashimada, which awarded Akutagawa Prize, one of most famous award for good literature in Japan recently. In my impression, one of it's theme is about gaps between who thinks consuming itself is happiness and who just want to get simple happiness and consuming is only "one" of the choice to help them feel happy. I feel like it is reflecting many changes and conflict around sense of value in Japan.
 たまたま前々回の帰国で「文芸」春号を買っていたので、芥川賞受賞作「冥土めぐり」をタイムリーに読むことができた。一見、個人の私的な世界を描いているようだが、きちんと社会に訴えかけている、面白い作品。表現には若干誤解が生まれそうなところがあったけれども、まさしく今を描いた小説だと感じた。とくに、「消費をめぐる私と家族とのギャップ」をめぐる表現に、今の世代の私たちが価値観の見直しを迫られていることをめぐる作者なりの省察を感じ、共感した。


 この作品における障害者の描き方、異論もあるかもしれないけど、個人的には鮮やかだったと思う。難しいテーマを、リアリティと社会的常識を裏切らない温かい目線をともに失わないまま、描ききっている。ネタばれになってしまうけれど、脚が悪い主人公の夫が、後半で電動車椅子を手に入れ、突如行動力が倍増するところなど、電動バイクを手に入れた時の私と少し似ていて、苦笑してしまった。伴侶がそれにどこか「引きずられている」ところも、我が家と同じ。

 実は先日仕事の合間を縫って見た映画、「楊梅洲」にも主役級の障害者が登場した。こちらは思いっきりアウトサイダーで、家族にさえ見放されかけた聾唖者だったが、これもまたかなりリアルな描き方だった。

 実は最初はそこまで期待をして観たわけではない。シノプシスを読み、アウトサイダーを撮った大陸の映画には、もろに社会派の突き放した視線のものか、どこかリアリズムに欠けるものが目立つという印象から、きっとそのいずれかなのだろう、と予想して映画館に入った。だがその予想はみごとに裏切られた。素人役者を起用し、その本来の気質を自然に引き出すことで描写に迫力を添えながら、現在の女性が置かれがちな境遇を、二人のアウトサイダー的女性の描写と交流を焦点にすえて浮き彫りにした映画だった。

 とにかく監督が男性、というのが驚きだ。私だったらこうするかな?という疑問点もなかったわけでもなかったが、いろいろと考えるうち、やはりこういう選択もあり得る、と納得できる範囲のもので、もうフェミニズムを語る権利は女性だけにある、という時代ではまったくないことを、しみじみと感じた。何というか、とりあえず多くの女性に観賞を薦めたい映画だ。

 しかし、不思議な巡り合わせで、日中の身体障害者の置かれた境遇の差についても、考え込むことに。やっぱり弱者の視点になって徹底的に考えれば、今の中国の社会環境の試練の多さを感ぜざるを得ない。

 先日、王小帥の新作「我11」を観た時、最初は単純に台湾の鬼才、エドワード・ヤンの「一一」へのオマージュなのだろうと思って観はじめた。タイトルからいっても、恐らくヤン映画を意識した作品であることは、今でも間違いないと思う。だが映画を観終わった後、その内容のあまりの差、つまり主人公が出会う事件の苛酷度の差に驚いた。いずれも主人公が11歳の頃の出来事を描いた自伝的作品だが、一昔前の大陸と戦後の台湾の11歳とはこんなに違うものか、と思わざるを得なかった。大陸の11歳が目にした、政治性が強く、誰もがそれに感性を刺激されざるを得ない世界、そして台湾の11歳が目にした、家族とのつながりや世界をどうとらえるかといった好奇心に満ちた世界。あまりに違いすぎて、その差自体がメッセージなのかも、と思ってしまったほどだ。

 何はともあれ、単独で見ても、他と比べて観ても、面白いのが名作。世界文学とか比較文学の醍醐味はその「他と比べる」部分を最大限楽しむことなわけで、これには正直なところ「運」も必要。今回はその運に恵まれて、ほんとうに良かった。