北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

時事ネタがらみその1

来年1月に念願の自著が出ることになったので、あれこれと忙しい。
でも、そんな時にかぎって、いろいろと気になるニュースが。

まずは、ベルリンの壁崩壊25周年。

高校生の頃に天安門事件やベルリンの壁崩壊のニュースを目にしてから、
卒業して、浪人して、大学に入って、北京に留学に来るまでが11年間。

北京に住み始めてからが14年間。

あらら、北京の方が長かったんだ、ということに思い至り、正直驚いた。
北京の時間の流れ方って日本より1.5倍くらい速いんじゃないだろうか。
いやただ単に歳のせい?

何はともあれ、私にとってドイツは遠いようで近いような不思議な国だ。
アメリカにいた頃、東ドイツから移り住んできた子が、自分と同じくらい英語が下手で、親近感を覚えた、というのもあるし、
留学時代、同じ宿舎にドイツ人の留学生がやたらとたくさんいたので、よく一緒に行動していた、というのもある。

一年間一緒に暮らし、とても仲良くなった寮のルームメイトも、旧東ドイツ出身だった。
だから、旧東西ドイツの人たちの格差が埋まっていない、というのは、皮膚感覚でなんとなく想像できる。

でもふと、やや似たような差が、中国では世代間で存在しているのでは、と思う。
市場経済の荒波にもまれながら、よりよい収入を求めて職を転々とする若い世代と、倹約が上手で、安定志向のシルバー世代。もちろん、その中間もたくさんいるのだけれど、北京にいると、この二つの世代の価値観の差を目の当たりにすることがよくある。たとえば、疲れた時に喫茶店に入るか入らないかから、どんな職場を選んで働くか、といったさまざまなレベルの問題で。

以前、北京で仲が良かったドイツ人のおばあさん(70代)が、中国語も話せないのに、中国の革命世代の思考回路について、自明のこととして、まるで実感としてよく知っているかのように反応していた。

残念ながらディテールは思い出せないのだが、確か既存の宗教に信仰心を抱けるかどうか、に関しての議論だったと思う。「革命世代には、本心はすごく信じたいけど、なかなか信じられない、という強いジレンマがあるみたいだ」、と私が言うと、そのおばあさんは「そりゃそうよ、当たり前でしょ」と極めてきっぱり断言した。
その後、ステレオタイプ化が嫌いな私でも、そのおばあさんの肯定はそう的外れではないように感じられた。

きっとおばあさんの言葉がそこまで断定的になれたのは、ドイツにいた頃、旧東側諸国の価値観と触れることが多かったからだろう、中国に来て、それまでの経験で得た自分なりのステレオタイプが、中国の一部の年齢層にもあてはまることに気付いたのに違いない。
もちろん、同じような差は、旧東ドイツの国内でもあることだろう。

こういう風に考えると、国境の壁って、やっぱいろんな壁のうちの一つに過ぎないんだな、と
改めて感じる。