北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

びっくり大サービス

どこの食品売り場かは言わないけれど、
昨日某スーパーのお肉売り場に行った時のこと。

最近は北京でも、わりと安心できる肉が買える場所が増えていて、ここもその一つ。

だから、ふだんはあまり買わない肉を、ちょっと買ってみようと思い立つ。
でも残念ながら、種類こそ多いものの、量り売りではなく、すでにパッキング済みのものばかり。

価格的に手が届くものは、量が多すぎて困る。
量がちょうどいいものは、価格が高すぎる。

そこで店員さんに、そのことを言ったら、

「ああ大丈夫、割引価格にしてあげるから」

と、量が少ない方の肉に「パッチン」と新たな価格ラベルを貼ってくれた。
ラベルを見ると、30余元だったのが9元ちょっとに変身!
つまり3分の1以下の価格に。

ちなみに、よく日本のスーパーで値下げが始まる5時以降とかに寄ったのではない。
どうも、松葉づえつきながら買い物カゴを下げている私を見て、どうせ高くて最終的には売れ残る肉だから、と出血大サービスをしてくれたらしい。

その売り子さんは、その後、方向音痴の私がレジの場所がわからなくてウロウロしていると、買い物カゴを持って、けっこう遠くにあるレジまで運んでくれた。

これまでも親切な人にあれこれ助けられてきたけれど、これにはびっくり。

もちろん、松葉づえをついている人=安くなきゃ買えない人、という固定観念には、ちょっと抵抗がある。でも、隣の売り場どころか、同じ売り場の隣の秤のことでさえ構わない売り子さんだっている中で、このサービスの臨機応変さ、独自の行動力は特筆もの。
やりすぎたら弊害が大きくなりそうだけれど、少なくともリピート客はぜったいに増えるはずだ。

ロシアでも、ちょっと似たようなことが何度かあった。
ある公園のアイスクリーム屋で量り売りのアイスを買おうとした時のこと。
何と店員さんは
「ここのは高いから、あっちで買った方がいい」と、隣の店の冷凍庫を指差したのだった。
その冷凍庫にはパッケージに入った普通のアイスクリームが入っていた。

(こちらが勧められるままに大人しく選んだ庶民的アイス。まあまあの味)

量り売りだということに気づかず、100グラム単価を一個いくらと間違えて買う外国人観光客が多いからだろう。いずれにせよ、時にはちょっと奮発してみる人だっているはずだ、などとは考えないらしい。

そんなの単なる怠慢だとあきれることもできるし、余計なお世話だと、腹を立てる人もいておかしくない。彼女が売り子として出世できるかも疑問だ。でも私は、「なんかいいなあ、こういう誠実さ」と思ってしまった。

たぶん、売り子さん自身もお金で苦労しているんだろう。でも誰もが、自分が苦労しているからといって、他の人の苦労にまで想像が馳せられるわけではない。

反対に、やけっぱちになってぼる人だっている。
ある中国の農村で出会ったおじいさんは、会話の合間にふと
「今の社会で、『いい人』でいるのは難しいよ」
としみじみともらした。ちょっとくらいは人をだまさなきゃ、生活が成り立たないという意味だ。

こういう言葉を聴くと、結局のところ、「貧しても鈍しない」想像力が、世の中を良くしていくんじゃないか、と思わざるをえない。
もちろん自戒の意味も込めて。