北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

面白かった本2冊

それはずばりヨシップ・ノヴァコヴィッチの『四月馬鹿』と
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=09205

と倉本聡の『拝啓、父上様』のシナリオ本。

一冊は、内戦前後のユーゴスラビアが舞台、もう一冊は変化の時代にある東京が舞台。いずれも北京以外が舞台の物語なのに、北京にいるからこそ、怖いくらい身近に感じられる物語だった。

特に『四月馬鹿』はまさに「つぼ」にはまったといっていい。独特のユーモアセンス、喜劇と悲劇の微妙な境を極めるようなストーリー展開。それらがうまく混じり合っていただけでなく、表現の練り上げられ方も読みごたえを感じさせた。似た社会体制を経た国は、やっぱり似た「記憶」を刻まれるのだ、と改めてしみじみ。

『拝啓、父上様』については、ドラマの方はまったく観ていないのだが、私はもともとシナリオを読むのが比較的好きなので、シナリオだけで十分楽しめた。神楽坂の街の変化が、老舗料亭の店じまい、再生を軸に描かれている。私としては、前門の破壊的再開発とオーバーラップしてしまって仕方がない。

計画によって追い払われる人々、計画にすがるしかない人々、変化を強いられる理由は異なっても、いずれも時代をきちんと読みとらなければ敗北を避けられないのは同じなのだろう。古い文化を守るにはいろいろなパターンがあるが、いずれにせよ強い決断力と思い入れや忍耐力が求められることには変わりがない。そんな過程を経ているからこそ、伝統は貴いのだ。

私には料亭の敷地をマンション用地にしてしまう女将さんの考え方が新しいようで遅れていて短絡的なようにみえるけれども、街を作るのは人なのだから、どうしても街の姿も人の想像力や活力の限界に左右されてしまうのだろう。

去りゆくものに美を感じる日本の感性も悪いとは言わないが、街に関しては、もうちょっと古い良い物をきちんと残さないと後世の人に申し訳が立たないんじゃないか、と思う。どうしたって、去りゆくものの美はその瞬間に居合わせた人の心にしか刻まれないのだから。