北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

ルールを介したぶらぶら歩き

ご報告が遅れましたが、ARTSCAPE のFOCUS欄が更新されました。

http://artscape.jp/focus/1228717_1635.html

水の入ったコップをちょっと傾けただけで、これも作品だ、「海と平行だ」と。しかもそれを、中国を撤退するか否かがアート界の一大焦点となるような現代アート界の大御所、ユーレンスの展示室で展示してしまう。この大胆な遊び方。あっぱれです。

昨日北京の王府井では、民主化を求める集会のために集まった人が黒山のひとだかりになっていたそうです。でも観ていた相棒によれば、最終的には特にシュプレヒコールもプラカードも、集会もなかったのだとか。

偶然ながら、私にはこれも「ルールを介した表現」のように思えました。とにかく、情報をできるだけ回してみる。そして、集まれるだけ集まってみる。実際に何かを得たり訴えたりすることより、自分達には何ができるのか、その限界に挑戦していく。

そういうチャレンジ自体が、すごいプレッシャーを誰かさんに与えることになるわけですが、ルールに従った人全体が、一つのある主体に見えるようになれば、それは表現の手段を持たなかった人がとつぜん芸術家になるような、「大変身」なわけです。

かつて北京の偉大なる某芸術家は、芸術区の強制取り壊しに抗議するために大勢の関係者とともに長安街に繰り出した際、見つけた警察が制止しようとすると、
「いや、デモなんてとんでもない。ただ気ままに歩いてるだけ」と
ぶらぶら歩きのふりをしたのだとか。
結果的には、そんな「ぶらぶら歩き」の人が百人以上、目抜き通りを「ぶらぶら歩き」したということで、それは私にとってはある意味、統一したデモ行進より怖く、力強い風景に思えました。

今回の動きもそんな、「まとまりのないまとまり」といった感じを連想させます。
まあ、私のブログも、そんな北京で好きかってに「逍遥」しているわけですが・・・。