北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

まいさかのおはなし

私は今の家(といっても借家だが)に住むまで、基本的に半年から3年ごとに引っ越しを繰り返してきた。そのため、ここぞ故郷、という場所は私には存在しない。
今、両親が住んでいる舞阪という場所も、高校3年の一年間住んだだけ。なので、ここが生まれ故郷と言うことはできず、どういう場所かもろくに知らないままでいた。

が、

今回の大地震でちょっと考えたことがあり、記事にもしてみた。

http://www.shukousha.com/column/beijing029.html

実家のある場所は海抜60センチ、海岸から1キロほど。地震の際は大津波警報の範囲内でもあり、避難勧告が出た。感じた揺れの大きさから、そう大きな津波は来ないと感じた地元の人たちの大半は家を動かなかったようだが、中には貴重品を車に積んで避難した人もいたようだ。

1970年代からもうじき東海地震が来る、と言われ続けてきた上に、浜岡原発も遠くはないため、実際の被害こそ小さくても、地元の人々は今回の地震をまったく他人事でないと感じていたと思う。

というわけで、地震後の数日間、私もとても落ち着かなかったわけだが、足が悪く、ボランティアなどに行こうものなら人を助けるどころか人に迷惑をかけることは確実。

そんなわけで、阪神大震災の時に京都にいながら、また別の事情で被災地に行けなかった時のように、実家で意気地なく「うじうじ」していた。

でも今回は上の記事にあるように、「うじうじ」だけでなく「うろうろ」もした。実家の周りを・・・。

舞阪という町は旧宿場町で、東海道松並木のすぐ近くにある。

「街道」が地元の歴史の主人公なので、唯一に近い重要な史跡も関所「新居関(今切の関)」だ。

関所というからには肝心な場所なのでずっと動かなかったのかと思っていたら、津波のために何度か場所を変えたのだという。

実家の近くには、番人が通行する人馬をチェックした見張所「見附」の跡も残っている。

それまで何気なく通ってきた所だが、意味を確かめてから通ると、なんだかちょっとびくびくしてしまった。

何もやましいことはしていないのだが……。

(次回に続く)