北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

医者も医者だが患者も患者

こちらのお医者さんに読ませたい本、
それはミヒャエル・エンデの「モモ」。

それくらい、こちらのお医者さんには、患者の話を最後まで聞かない人が多い。

何せ、臨床を死ぬほどたくさんこなしているから、最後まで話を聞かなくてもたいてい患者の言いたいことが分かってしまうのだろう。
途中で、分かった分かった、という感じで遮り、次の質問や自分の意見を言い始める。

手間が省けるのはいいけれど、やっぱり不安になるし、まじめに聞いてよ、と思ってしまう。でも、あまり誰もかれもが自分の話を聞かないと、かえってそのシュールさが可笑しくなって笑ってしまうことも。

この間、足の矯正器具を作る施設にいったが、そこがそうだった。受付の人もお医者さんも、人の話を丁寧に聞かず、しょっちゅう関係ない他の人と大声で話をする。二人の患者を同時進行で診ているのだ。

そこに行くのは二度目。治療法について話がまとまると、さっそくいろいろと詳しい説明をし、器具の説明をし・・・と診察が進んでいく。やっと私だけを診てくれるようになったのはいいのだが、だいぶ経ってから、

「ここに名前を書いて」と紙を差し出された。

あ、そういえばここの人たちに名前も何も知らせていなかった、と気付く。

相棒がとぼけたように
「僕の名前ですか」

すると
「いや、患者の名前です」と当然の答え。

中国での生活は十年以上になるが、患者の名前をどこにも記録せずに診療を進める医者には、初めて会った。

しかもこのお医者さん、石膏で型をとったりと、いろいろと準備をした後、私たちがお金をちょっとしか持っていないことに気づく。
「じゃあ、来週持ってきて。まず半額だけもいいから」

これにもたまげた(でも助かった)。中国では、どんな治療も先にお金をとるのが原則。恐らく、お金を払わずに逃げてしまう人がいるからだ。

一応、ドイツから器具の材料を取り寄せてくれるというから、まっとうな施設のはずなんだけれど、管理が病院とは別系統なのかな。

お医者さんは、中国ではありがちだけれど、医者より技師という感じで、とても日に焼けていて、ロックンロールのドラマーみたいにワイルドでラフ。

だけど、だからこそ、お医者さんっぽいお医者さんより何だか信頼できそうに思ってしまったのは、こちらに住んでいるからこその不思議な心理。こっちの話を聞いてよ、という最初に感じたイライラもふっとぶ。

そんなこんなで、その日はお金を一銭も払わずに、診療を受けてしまった。「つけ」で診察?たぶんこれって日本でもめったにあり得ないこと。

自分のすぐ横に置かれた、自分の脚とまったく同じ形の石膏を見て、
「あ、私の脚が三本に増えた」
という不思議な感覚も体験させてもらいつつ・・。

それにしても、医者も医者だけど患者も患者。私はやっぱりこっちの生活に向いてるのかも、と妙に納得した一日だった。