北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

初盆出張旅行記 その3

鑑真号での船旅は、のんびりと続きました。

昨今は日中の海の国境がやけどするくらいホットな話題。船内では船の位置に関するアナウンスは少なく、いったいどこで国境を越えたのかはわかりませんでしたが、いつも流行には乗り遅れまくりの私たちが、今回はへんなところで時の話題とリンクするタイムリーな行動をしてしまったことになり、なんだか不思議な気分でした。

こんな広大でとりとめのない海に、どうして線なんて引きたがるんだろう。人間なんて多種多様な生物のうちの、たった一種類にすぎないのに……


でも、感慨にふけられたのはそこまで。


最初に異変が起きたのは、相棒でした。

「気持ち悪い、寝る支度する」
と早々と食堂から姿を消します。

そう、船酔いです。そもそも上海近辺の海は台風が過ぎたばかりで、荒れるとまではいかなくても、結構波は高かったのでした。

私の方は急ぎの仕事があったので、なんとか人がいなくなった食堂で、パソコンにしがみついていましたが、晩の11時を過ぎると、さすがに気分が悪くなり、ダウン。

それからは悪夢にさいなまれる夜が……。

乗り終わってから知ったのですが、フロントに強力な酔い止め薬があったそうです。

でも、私たちは知らなかった。

そして、胃の中にきちんと収まったはずのものが口からお出ましになること、相棒4回、私3回。

今でも、シャワーを浴びる間、何とかもちこたえられたのが不思議です。
翌日は昼すぎまで何も食べられず、おおよそ回復したのは夕方、関門海峡を抜けてから。

ああ、あの時に見た九州の海岸線が、何と優しく輝いてみえたことか。
瀬戸内海の海が、何と落ちつきに満ちていたことか。

子供の頃、海がしけていた時にダイアモンド・フェリーに乗って、心底びびったこともある私ですが、そんな記憶はふっとび、やっぱり瀬戸内海は穏やかでいいね、なんて相棒と話します。

そしてやっぱり鑑真号に乗ってよかったと、のど元過ぎた熱さを完全に忘れ、すでにマイスペースとなった夜の食堂でまた夜更かし。何とも「食堂」と縁がある旅です。

そんなこんなで迎えた翌朝、下船間際になって、ふと指折り数え、私が最初に鑑真号に乗ったのは、当時まだ「旧鑑真号」だった1993年だったことに気付きました。

そこで、ほぼ全員中国人である船員さんたちに、「旧鑑真号の時から鑑真号で勤務している人はいますか?」と聞いてみました。
「それはいないかな・・・あ、いる!」
と言って若い船員さんが連れてきてくれたのは、いかにも上海人っぽい感じの、50代くらいに見えるしぶいおじさん。
「お、93年に乗船したのか。新鑑真号に変わったのは94年3月からだからな・・・」とうなずきます。

さっき、このおじさんに船室で下船の準備が遅い、とせかされたんだっけ、と恐縮しながらも、
旧鑑真号の思い出を共有できる人がいることが何だか嬉しくて、一緒に記念撮影を撮らせてほしい、とお願いしたところ、すんなりOKをもらえました。新鑑真号に最後に乗った年から数えても、約十七年ぶりの再会のはず。

きっとおじさんも、次の乗船は何年後になるかわからないから、この子は記念撮影をしたがっているんだな、と思って応じてくれたに違いありません。
でも撮った後、ふと気付きました。

そういえば、帰りも鑑真号だった……。
そう、私は大陸に住む人間だったのです。
わずかな気まずさを覚えながら、下船したのでした。