北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

初盆出張旅行記 その8

そんなこんなで、おだやかな海旅は続き

今回はばっちり無料朝ごはんも食べ、(左上はマイカップ)

先回に負けぬほどいろいろな出会いがあった鑑真号での旅を終えました。

しかし、旅自体は続きます。というか、これからが本格的な取材旅行です。
といってもこれまで以上に行き当たりばったりの、予測のつかない体当たり旅行ということですが……。

向かったのは浙江省嵊州。
直訳すれば「スーパー大ホテル」となるはずの、確かにやたらと巨大なホテルに泊ります。一応外国人受け入れOKのホテルのはず。でも、フロントのお姉さん、パスポートに慣れてなかったようで、一瞬「これって何?」という反応でした。

晩、近くのレストランに入ったら、巨大なオクラをただ茹でただけのものが出てきてびっくり。北京ではオクラは見かけないので、さすが南方、と嬉しくなります。ちなみに中国語でオクラは「秋葵(チウクイ)」なのだとか。

さて、ここでのお目当ては竹細工の職人を探すこと。
ただ、こちらについては、近々、現在連載中のNHKラジオテキスト「まいにち中国語」の口絵&コラムで紹介させていただくつもりなので、失礼ながら、とりあえずスキップさせていただき、

単なる思い付きで訪れ、結果としては嵊州に勝るとも劣らぬ魅力を放っていた、「崇仁鎮」へ。
古い歴史を持つ古鎮です。

ここはまさに、こうあってこそ古鎮、という感じでした。周囲は一見、普通の村なのですが、入ると文化財がゴロゴロ。住民のふつうの暮らしがまだ無理なく古い建物と共存していて、観光業もそこまで入り込んでいないせいか、出会う人、出会う人がみなどことなくおっとりしています。犬にはけっこう吠えられましたが。



その分、地元の人に了解を得なければ入れない建物もあったりしたけど、入れてさえもらえれば、生活感がある風景が見られて、とてもよかった。

北京の四合院みたいに雑居状態にはなっていても、むやみな建て増しなどはされていなくて、中庭がちゃんと有効に使われていました。

路地の真ん中になぜか井戸があったり、路地をまたぐ渡り廊下、過街楼なんかがちゃんと残っていたりして、住民の歴史的文物に対する愛着と尊重が感じられました。無理に復元した部分がなかったのも、自然で親しみやすかったです。


ちょっとした扉の彫刻が李白や陶淵明の肖像だったりして、さすが文化の里、とうなります。ここは越劇のふるさとで、囲碁の名手ともゆかりがあるのだとか。


住民たちの美意識や知識レベルもかなり高い感じで、いろいろ家の細部を説明してくれたのは、偶然出会った、とくに古い文化を研究しているわけでもなさそうな普通の住民のお兄さん。しまいには近所の、それまで閉まっていて入れなかった家まで連れて行ってくれて、感動しました。

そんな人情味に満ちた、緩やかなタイムトラベルを経て、
村に何気なく点在する文化財に名残惜しさを感じつつ、その日のうちに杭州へ。
予定通り北京に戻る列車の切符が手に入らなかったため、杭州では結局3泊することに。

杭州といえば、蘇州と並んで「上に天国、下に蘇杭」といわれるほどの、観光名所。
誰もがあこがれる風光明媚な土地ですが、仕事がたまっていたり、体調が悪かったりして、滞在期間の大半は、ホテルから一歩も出られず……。

でもさすがにそれで終わってはライターの名がすたる、ということで、出発までには何とか時間を作って、西湖や、古い市街地があった一帯をめぐりました。

不思議な縁で、5月には開封にも行きましたので、今年は宋の都二つを初訪問できたことになります。ということで、恥ずかしながら、こんな記事もしたためてみました。

http://www.shukousha.com/column/tada/1734/

やはり今も発展中の古都となると、保存と開発の共存は相当大きな問題になってしまい、なかなか簡単には論じつくせませんが、結局のところはだんだんと、現地の住民の地元の文化に対する愛着や情熱が、少しは報われる時代になってきているのかな、という印象です。

裏を返せば、地元っ子の割合がどんどん少なくなっているのに、ある程度は胡同が残されている北京の今の情況は、全国的にみればむしろ幸運な部類に入るのでしょう。

改めて、その多くが本来の故郷を追われながら、あまり同情を得ているとはいえない、けっこうかわいそうな少数民族的存在、「北京っ子」に思いをはせます。

そんなわけで、長旅が続き、さすがにちと北京シックになっていた私たちは、ほっとしながら北京に戻る列車に乗ったのでした。

さて、次回は誰もがドキリのシリーズ最終回、乞うご期待!
っていうか、まだ続くの?と言われそうですが。