北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

毎日が聖夜

北京生活12年目にして初めてのこと。
それはここ6日間、毎日続いている停電。

毎日、電気暖房器の蓄熱が始まる10時前後になると、
プチりと電源が切れる。

我が家ではふだん、夜、ろうそくだけで過ごすのは、クリスマスと誕生日くらい。
しかも夕食がいつも遅いので、10時くらいだとまだ食事が終わっていなかったりする。
つまり、テーブルの上に食事とろうそくの明かりがそろうことに。すると、つい頭の中で
「き〜よ〜し〜、こ〜のよ〜る〜」
という歌が流れ始めてしまう。

今日なんかも、9時台に停電が始まったので、ちょうど食事を作り終えて食べ始める時にプチリ。ぎりぎりで闇鍋を免れた。

不思議なもので、ろうそくだけがともっていると、何だかおごそかな気持ちになってくる。
ふだん、いかに電気を浪費しているか。
いかに「当たり前のように」電気を使っているか。
「キャンドル・ナイト」の類に参加しようと思いつつ、つい仕事を優先しちゃっていること。
そんなあれこれを、淡い心の痛みとともに思い出す。

つまり強制的に、毎晩キャンドルナイト状態に投げ込まれているわけだが、いい薬だ、と笑って過ごせるのは、さいわい電気の有無が生死に関わる問題にない情況で、PCも常に蓄電をしているタイプだから。デスクトップを使っていたら、笑っては過ごせないだろう。

「生活のもっとも基本的な条件がこんな不安定な社会で、高速列車だの、最新型の武器だの作って、ばかばかしい」と相棒はあきれてるけど、地球の将来のことを考えたら、やっぱり、電気の限られた状態に対応する準備は大切だと思ってしまう。

ちなみに今回続いている停電は長い時で2時間くらい、多い時は2回。
3日目くらいからは慣れてきて、ろうそくも手探りですぐ探せるようになった。

近所の人の話では、私たちが北京に戻る前も、何度も停電したらしい。
どこかで電線をつなぎ間違えた、という噂だが、切れる時間が10時以降に集中しているので、
やっぱり電気暖房の使用と関係があると思う。

「南方週末」の編集部の、中央宣伝部を告発するという勇気ある行為が、メディア関係者を中心に多くの人の関心を呼んでいる今、わが家のすぐ近くにも国務院関係のプレス向け事務室があったりするので、「停電は何かをブロックするためか?」などといろいろと妄想が膨らんだが、たぶんまったく関係ないはず。

ちなみに、「南方週末」の編集部がある広州は、事件の起こる直前(つまり、ちょうど編集内容をめぐって攻防戦が繰り広げられていた頃)に私たちもいた所。だいぶ前の定州事件の時も、一週間前まで定州にいたのでぞっとしたりしたけれど、夫婦そろってそういう変な事件運?にめぐまれているらしい。

「南方」がらみということで、今日お気に入りのキューブリックカフェに行ってきた。趣味の良いセレクトの香港系の本屋が併設されていて、知的&芸術的空間として若手の文化関係者に人気の場所。元南方グループ傘下だったのが、最近無理やり北京市市委宣伝部の管轄下に押し込まれたことで報道内容が制限され、今回も「南方週末」と連動したアクションを起こしている「新京報」という新聞があるが、そのネット版で最近、このカフェが動画付きで紹介された。そのせいか、今日は平日なのにいつになく混んでいて、やがてほとんど満席に。

座っている人たちは、どうみてもカフェがあるマンションの住民ばかりには見えない。カフェは特に繁華街にあるわけでも、交通が便利な場所にあるわけでもなく、他に立ち寄れるような店は何もなくて、隣の映画館もガラガラ(いい映画館なんだけど)。
もちろん、ただおしゃれで快適だから、という理由で来ている人も多いとは思うが、書店やカフェの立場に共感を覚えて、わざわざこの店を選んでいる人もきっと少なくないはずだと感じた。これはあくまで「直感」で、うまく表せないのだけれど、こういう空気を感じる時、やっぱり何かが動いているんだ、と希望が湧いて、わくわくする。

そういうわけで、また話が脱線気味だけれど、
暗闇の中のキャンドルのともしびに、反省すべきことだけでなく希望も託すことができる、そんな空気が今現在の中国にあること、それは確か。
そのともしびが、今後さらに明るくなることを、祈るばかり。