北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

病院で井戸端会議

北京では一般の人はみな、ちょっとした治療でも大病院に行く。大げさなのではなく、個人病院というものがほとんどなく、あっても異常に診察代が高いか、会社の医療保険がきかないからだ。

都心部以外では黒診所と呼ばれる、不法で怪しい私設診療所があったりして、安かったりもするようだが、少なくとも我が家の周辺では、規制が厳しいのか、あまり見かけない。

だから、保険がきく北京の大病院はたいてい混んでいる。混んでいないところは、漢方医の外科など、治療に信頼が置かれていない所で、それはそれで不安になる。

混んでいるだけならまだいいが、その混んだ中をあっちこっち移動しなくてはならない。まさに、列に並ぶトレーニングをしにいくようなものだ。身体が悪くて来ているのに、身体への負担はかなり大きい。

まず受付で基本的な診察の料金を払うのに並ぶ。
次に、診察室の前で並ぶ。
治療や薬が必要な場合、治療に必要な料金や薬代を別の窓口で前払いせねばならず、そのために並ぶ。
治療や処置、検査のために並ぶ。
治療が終わった後、必要ならもう一度お医者さんに診てもらったり、並んで薬を受け取ったりする。
ちなみに、私が行く病院は、よく行く科が5階にあるのに、エレベーターが少なく、いつも混んでいるので、エレベーターに乗るのにも並ばねばならない。

私は体のアチコチが故障しやすいので、北京や旅行先でいろんな病院のいろんな科に足を運んできたが、手順はだいたい同じ。

それでも、診察室や治療室、検査室と料金を支払う場所が近ければいいが、遠かったり、近くのものは閉まっていたりすると、これがもうたいへん。

だけど、この大変さの果てにあるのは何か? 決して親切で丁寧な診断や治療とは限らない。

日々、たいへんな量の患者に接しているから、慣れたお医者さんほど診断は流れ作業。つまり量をこなすのに精いっぱいで「ほんとうに診てるのかな」、「ちゃんと処置してくれたのかな?」という感じが残ることも少なくない。

若いお医者さんだと、まだ学校で習った原則を覚えているのか、丁寧に診てくれたりするが、有名な病院の有名な科になると、若いお医者さんも「ただ人数をさばくだけの係」であるのが丸わかりだったりする。実際、医師免許を持たない人に患者をさばかせていた有名病院があって、ちょっと前に問題になった。

もちろん、患者が多ければ、治療にかかる手間も並の量ではないので、有名病院では看護婦さんの負担も大きい。数年前、有名病院で働いていた友人の看護婦さんは、やつれ果て、放心状態が続くようになってしまった。

先日、北京遠郊の山間区にある、そこそこ大きな病院の前で、バスを待っていた時の事。ある人が三輪バイクの後ろに息子らしき怪我人を載せて病院の敷地に乗り込んだ。薬を持ち、新しい包帯を巻いて出てくるまでの時間は20分ほど。そこは空気も水もおいしいところで、幼稚園や学校などの設備もしっかりしている。

重い病気は診てもらえないのかもしれないが、いざとなれば、北京の都市部の大病院も、車で2時間ほどだ。その農村は近くに観光地があって、比較的整備されている、というのもあるのだろうけれど、日々、都心の大病院の人ごみに接している私は、考えようによっては、こういった農村の方が、生活の質はいいのかもしれないな、としみじみ思った。もちろん、ショッピングなどの消費行為に重きを置かない人にとってだけなのかもしれないが。

話を元に戻すと、北京の病院で病気を診てもらう大変さには、地元の人も大いに不満らしく、例によって列に並んでいると、「ここまで悪くならなければ、こんな病院、来ないわよ」とか、「ほんと耐えられない。中国で庶民として暮らすのはほんと大変ね。病気でなくても病気になっちゃう」などと言っている。日本でも精神的には「病院に行くと却って病人になる」といった面があるが、北京だと体力面でも然りなので、一緒に並びながら、大きくうなずいてしまう。

そういうところで、ちょっとでも丁寧にみてもらおうとすれば、もうコミュニケーションが欠かせない。必死で症状を説明し、必死で必要な治療を強調するのは当たり前。

必要なら順番待ちの間、看護婦さんたちとの雑談にも付き合わねばならない。

先日、外科に行ったら、実習生を受け入れる時期なのか、診療室は看護婦さんだらけ。部屋の中で待っているよう、名前を呼ばれた時から、雑談はスタート。

日本人だということを言うのは、病院ではそうリスキーではない。日本の医療制度が比較的進んでいることをたいていの人が知っていて、留学帰りの先生もいたりするから。

だが、その後が大変だ。いつ来たの? どこに住んでるの? 今日はどうやって来たの?くらいまではいい。

次に相棒がやり玉にあがり、
「つきそっているのは誰? 弟さん?」

「えええ、あっちが私より8つも上なんですけど!夫です!」

それでも、相手はひるまない。
いつ結婚したの? 家はどうしてるの? 平屋? 何部屋あるの? シャワーはどうしているの?
と矢継ぎ早。

服は脱いでないが、質問で丸裸にされていく感じだ。でも、私はがんばる。親しくなったら、少しは丁寧に包帯を巻いてくれるだろう、と信じて。

結局、看護婦さんの言葉で深く共感できたのは、

「住んだことあるから分かるわ。雑居風の平屋に住むのって本当はいいわよね。同じ敷地の人がみんな家族みたいだもんね」

という言葉だけだった。

時には、もっと面白いディスカッションになって、会話そのものを楽しめたり、感動的な話を聞けたりすることもあるが、その日は居住環境の話題で盛り上がって終わった。まあ、北京に住んでいる人の最大の関心事だもんね。

もちろん、治療の手順はだいたい決まっていて、仲良くなったからといって、大きく変わるもんではない。でもやっぱりその日、コットンをケチらず、ちょっとだけ丁寧に傷を消毒してくれた気がした。

とういわけで、北京のローカル病院ではコミュニケーションが大事!

ただ、プライバシーの暴露は、次も同じ病院に行きたくなる程度に抑えないと、かえって治療に悪影響を与えるかも、ですが……。