北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

一人っ子政策と人権

最近、一人っ子政策が緩和されるかもしれない、という情報をよく耳にするようになった。
社会の高齢化を食い止めるため、ということらしいが、正直、私はちょっと複雑な気持ちだ。

一人っ子政策がもたらしたゆがみについては、私もその世代の学生たちと大学で机を並べたことがあるし、一緒に働いたこともあるので、否定はしない。兄弟姉妹はいるに越したことはないし、もし人口が人々の自主的な選択によって理想的な範囲にコントロールされるなら、一番だと思う。

だがその一方で、2,3年前、北京でタクシーに乗った時のことを、私は忘れられない。
北京の農村部出身の運転手さんと話していた時のこと。何かのはずみで、話題は彼の子供の話になった。

「お子さんは、男の子ですか?それとも女の子?」
「男の子に決まってるさ。女の子なんて生んでどうする? 嫁いじゃったらいなくなるだけじゃないか」。

これにはちょっとショックだった。こういう意識が中国の農村部ではまだ幅を利かせていることは、もちろん知っていたが、少なくとも都市部で働いている人はもうちょっと考え方が開けているのでは、と期待していたし、少なくとも女の私に対しては、もう少し遠慮した言い方をするだろう、と思っていたからだ。

しかし、女性にとってもそれは「常識」でなければならないほど、「産むなら男の子」はまだまだ中国では鉄則なのだ。

その時は、「世の中が男ばかりになったら、男は誰に嫁ぐの?ただでも今、中国では男の子が余っているのに」と返したと思うが、ショックは大きく、正直、今でもひきずっている。

まだまだ中国の男尊女卑、とくに農村のそれは根が深い。

少し前、ある北京郊外の列車の中で見た風景も強烈だった。

車両のお客さんは男ばかり。客が少ないこともあって、禁煙のはずなのに何も気にせず、スパスパとタバコを吸っている。
そこを、女性の車掌さんが、「ここではタバコを吸ってはいけません」と厳しく注意しながら通る。
客たちはニタニタ笑いながら、一度はタバコを消すふりをするが、車掌が通り過ぎると、またタバコを出し、げらげら笑いながら、あんなの聞く必要ない、という感じで吸い始める。

また同じ車掌さんが通る。男たちはまた、一度はやめるふりをするが、車掌さんが次の車両に行ったとたん、げらげら笑いながら、また吸い始める。

そのエンドレスな繰り返しを目の当たりにした私は、ものすごーく嫌な感じがした。彼らの「笑い」の中に、「どうせ女の言っていることだ」という「馬鹿にした空気」を感じたからだ。どんなに今の中国の女性が強そうに見えても、まだまだこれが多くの男性の根底にある意識なのだ、と私は悟った。そして、直感的に農村の女性、特に北方の農村の女性に強い同情を覚えた。

中国政府が男女平等を農村で説いてウン十年。でも、農村はどれだけ変わったのだろうか?
農村の女性が産児制限を破って、必死に二人目の子供を生もうとする場合、それは後継ぎの男の子を産むための場合が多いはずだ。男の子を生まないと、嫁ぎ先で立場が弱いからだ。

自由に生む権利が大事なのは分かる。だが、私は生まれてきた女の子の権利も大事だと思う。

女の子がちゃんと自然に生まれ、幸福な環境で育つ権利を保障しないまま、なし崩し的に産児制限を緩めるのだとしたら、私は単純には喜べない。

もちろん、私も本人の同意を経ない暴力的な中絶には大反対だし、他のいろいろな要素を考えても、産児制限は恐らく男女平等が徹底される前に緩められるだろう。

もう食い止められない以上は、人口抑制の緩和によって、出産前検査による女の子の「間引き」が減ること、そして増えた若者人口が戦争の犠牲にならないことを、祈るしかないのかもしれない。