北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

呼び名って難しい

昨日の朝、目ざまし代わりにラジオで現代版「評書」(中国の講談)を聴いた。

日中戦争モノだったので、またか、と思ったが、よく聴いてみると、単なる二極分化系からはちょっと進化していて、太平洋戦争中、日本人の多くが大本営発表に騙される様子が描かれていたりする。

そこで、しばらく聴いてみると、気になる個所が。

一瞬、「ラオドンティアオ」が誰だか分からなかったのだ。

相棒に指摘されてすぐに「老東条」、つまり「東条(英機)さん」と判明。さすがに悪役は悪役のようなのだけれど、何だかへんになれなれしい呼び方に聞こえて拍子抜け。「老+姓」は妻が自分の夫を呼ぶときなどにも使う言い方だからだ。

歴史物語だと、これもありなの?
そんなモヤモヤを抱えていたとき、ふと北京では「老爺」に軽蔑の意味が含まれることを思い出した。

そこで相棒に、「もしかして、『老東条』の『老』にも尊大ぶっている人を馬鹿にした意味がある?」と尋ねると、「まあそんなもんかも」とのこと。

でも、「老+中国人の姓」だと、そういうニュアンスはないらしい。
「え〜、どうして?」と聞いても、「うまく言えない」という。

またモヤモヤが復活。そもそも、母国語のニュアンスを説明するのって、難しいものだけれど。

一方で、「小+姓」も、中国ではよく「〜さん、〜ちゃん」の意味でよく使われるけど、実は初対面の人に使う時は気をつけた方がいいと聞いたことがある。

こういう時、日本の「〜さん」、「〜様」ってやっぱり便利だな、と思ってしまう。

「同志」も便利な言葉だが、さすがに今使ったら冗談だと思われそうだ。