北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

遠くて近い大陸の反対側

とうとうクリミア半島がロシアに編入されそうな勢い。

ウクライナ情勢がどんどんと緊迫するようになってから、私はずっと小説家のアンドレイ・クルコフ氏のことを心配していた。
レニングラードで生まれ、3歳の頃からウクライナのキエフで暮らしているというクルコフ氏は、今もロシア語で小説を発表しつづけているはず。ロシアにもウクライナにも思い入れがあるであろう氏は、今の情勢の中で、どんな思いを抱いているだろうか、と。

残念ながら、その小説は、政治的な隠喩が豊富なせいか、まだ一冊も中国語には翻訳されていない。にも関わらず、昨年クルコフ氏は北京を訪れ、某書店が主催する対談とサイン会に参加し、「フェイスブックが見られないから、執筆がはかどってすばらしい」などと冗談を飛ばしたのだった。

ずっと氏の小説のファンだった私は大感激で、握手とサインの列に並んだ時などは、緊張で心臓が口から飛び出しそうだった。実際に氏を前にしてみると、インタビューを生業とする人間とはとても思えないほどしどろもどろになり、自分ってまだこんな風に緊張できるんだ、とびっくりしたくらいだった。

日本に行ったことがあるということで、クルコフ氏は片言の日本語で挨拶をしてくれた。今思えば、私も片言であれ、ロシア語であいさつをすればよかった、と悔やまれてならないが、まさに後悔先に立たず。

ただ、今の世は便利なもので、フェイスブックというものがあり、氏が日々発しているメッセージを気軽に見ることができる。文学者らしく、難しい単語や言い回しを使うことも多いので、解読不能なことも多いが、氏が発言できる状態であることを確認できるだけでも嬉しい。

そんなある日、氏の発していたこんな言葉が心に染みた。私の翻訳が正しければ、以下のような内容だ。
「ウクライナでロシア語をしゃべることが恐ろしいのは、誰かがそれを禁止するからではなく、ある日それによって自分を守れてしまうかもしれないからだ」。

これを読んで、反日騒ぎの時に味わった緊張を思い出した。当時私は、もし日本に軍隊があって、こんなときに「自国民の救助のため」なんて言いながら北京に乗り込んできたら、それはむしろ後の世に禍根を残す恐ろしいことだ、と思ったのだった。

もちろん、ロシア系が人口の高い割合を占めるウクライナと、日本人の割合など微々たるものにすぎない北京では、まったく状況は異なる。ほんとうに過激派に追い詰められ、逃げ場がなくなったら、そんな悠長なことは言ってられないのかもしれない。

でも、クルコフ氏も私もきっと、長年その土地に住んだ経験から、本来なら二つの国の人間は仲良くやっていけるはずだ、ということをよく知っているのだ。いっときは相手に拒否されたとしても、少しずつ理解してもらう努力や、仲良くする工夫を重ねればいい。今は、一部の過激な人たちや何も知らない第三者が騒いで、仲を引き裂いているだけに過ぎないのだから、と。

勝手な想像に過ぎず、クルコフ氏には失礼にあたってしまうかもしれないけれど、そう考えてみると、やっぱりクルコフ氏の価値観には深い共感を覚えざるを得ない。

北京で握手させてもらった時の手の温かさを思い出し、ユーラシア大陸の反対側を、ぐっと近くに感じた。