北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

『しあわせな日々』の余韻

あぶない、あぶない。
うっかりしている間に、
第五回北京南鑼鼓巷パフォーミングアーツフェスティバルが後半戦に突入していた。

スケジュールはこちら(中国語と英語)↓
http://penghaotheatre.com/pafschedule/

これは見ておかなくては、と今晩あわてて駆けつけたのは、
竹屋啓子さんと田村義明さんが演じ、佐藤信さんが監督を努めた舞台
『しあわせな日々』。

場所は内心、つぶれたんじゃないかと疑っていた東宮影劇院(元東四工人文化宮)。
実は、我が家のすぐ近くにあるんだけど、初めて入った。

今回演じられた『しあわせな日々(中国語タイトル:幸福日和)』は、サミュエル・ベケットの原作に、饒舌な台詞を極限まで削り落とすなどの、挑戦的な改編を加えたもの。

主人公は腰から下が砂に埋もれた夫人、ウィニー。物質的に恵まれた、おしゃれに明け暮れる日々を送っているが、自ら幸せと信じているその生活は、社会の動きから隔絶されているのみならず、夫とも真の意味で生きる喜びを分かち合えない、自己完結したものに見える。

じつは鑑賞しながら、私は描かれている世界が、日本の社会の空気と重なって見えてしかたなかった。
ウィニーのしあわせは、物質的繁栄にまぎれて忍び寄る、暗黒の時代に対する感覚の麻痺をはらむもので、彼女が何気なくいじるピストルも、一見平和な夫婦の関係にひそむ殺気というよりは、社会に蔓延しつつある暴力、ひいては軽くあしらわれていく戦争の前兆に見えてしかったなかったのだ。

だから、後半で首まで砂に埋もれたウィニーが、ピストルに手が届かなくなったところでやっと、あ、これはやっぱり時代を超えて存在する夫婦関係の話なのだろう、と気付いたわけだが、それはそれで、時代との出会いによってさまざまな見方を誘う舞台芸術の奥深さを噛みしめることになり、味わい深かった。

だが正直な感想をいうと、共働きの家庭が多い中国ではウィニーのような妻像は日本におけるほどリアリティがないかもしれない。
公演後の質疑応答の際、私の前にいた観客に至っては、主人公の二人は夫婦の関係というより、微妙な隣人の関係に見えた、と率直に言っていた。

でも一方で、砂に埋もれた体なのに、自分は幸せだと暗示をかけ続けるウィニーの姿のもつ風刺性は、今の中国では、男女を問わず、日本以上に共感を呼びそうだ。

つまりは、そういったズレや意外な普遍性を吟味できることこそが、国境を越えて再解釈され、上演された舞台がもつ面白さなのだろう。

そんなわけで、静かながらあれこれとイメージを呼び起こす、いつになく深い余韻の残った舞台だった。