北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

ハルビンの街並みと幌子

この夏訪れたハルビンは、
眠りかけていたロシア熱を呼び覚まされたり、
ボロボロだけれど何かいろんな物語を秘めていそうな、趣きたっぷりの建物に魅せられたり、
さらにはその今後の運命に気をもんだりと、
いろんな気持ちや考えが次から次へと押し寄せてきた街でしたが、

今回その一端をまとめた旅行記が集広舎のウェブサイトにアップされました。
http://www.shukousha.com/column/tada/3449/

ハルビンでの街歩き、今回は通りに沿って「線」を描く程度でしたが、
次に来る時は、できればもっと「面的」に歩き尽くして、街の語りかけてくる声に耳を澄ましたいです。

おまけですが、ハルビンで目にして、けっこう驚いたのはこれ。

「幌子」と呼ばれるもので、民国期までは盛んに使われていたとされる実物看板です。
業種ごとに形が統一されていて、
お店の人によると、これは食堂であることを表す「幌子」なのだとか。

恥ずかしいことに、私は「幌子」って、実用品としてはすでに絶滅したもの、と思っていました。昨今は博物館や、古い街並みを再現したテーマパーク的空間などでしかお目にかかれないに違いない、と。
でも、ハルビンではわずかながらも、現役で活躍していたのです。

途絶えたと思っていた伝統文化がまだ生きていると分かったのは、嬉しい。
でも、「幌子」はそもそも、
文字が読めない人でも店の性質がひと眼で分かるように、と生まれたもの。
となると、これが活躍する余地がまだあるというのは、
ちょっと哀しくなることでもあります。

その後、江西省出身の親友に「幌子発見」の話をしたら、ちっとも驚くことなく、
「文盲の人のためのものでしょ。私の故郷にもまだあるよ」とあっさり。

その時私はふと、かつて西部の辺鄙な土地を旅していた時、文盲の青年とバスで隣り合わせたのを思い出しました。私はもちろん相棒さえも、その「自分たちと変わらない、ごく普通の身なりをした」青年が、自分の名前さえ書けないことに、驚いたのでした。

正直な話、北京でも時おり文盲の方には出会いますが、たいていはかなりのお年寄りですし、自分の名前ぐらいは書けることが多い。でも、その青年はせいぜい2、30代。

それは解放後、だいぶ低下したはずの文盲率も、まだゼロになるには時間がかかる、という証拠。
さんざん中国のあちこちを歩いてきたつもりですが、
うっかり見過ごしていること、ちゃんと見えていないこと
はまだまだたくさんありそうです。

すべてを見ることはもとより不可能ですが、
せめて見えていないことを自覚しつつ、目を凝らし続けたいもの。

飄々と風にたなびく幌子が運んできてくれたのは、
そんなちょっぴり重たい思いでした。