「誰にも分かりやすく」は難しい
前回の更新からずいぶん間が空いてしまってすみません。
中国在住者が今、これを言うとちょっぴりブラックに聞こえるかもしれませんが、
今のところ、何事もなくのほほんと生きています。
じつはわけあって少し前、ちょっくら九州に行っていました。
つもるお話、素敵な風景はちょっと置いておいて、まずはこれを。
佐賀空港からのバスのチケットなのですが、
これを見て、ふと思ったこと。
「おとな」って、誰のための表記だろう?
通常、おとななら漢字は読めるはず。
ならば、外国人のため?
でも、日本語を知らない人なら、ひらがなより、英語が便利なはず。
漢字文化圏の人なら、「大人」と書いた方がむしろ親切。
となると、「おとな」という書き方は、日本の学校で教育を受けてきた子供か、国籍を問わず、日本語表記を学び始めたばかりの大人向け、ということになる。
でも、子供は通常、おとなのチケットを買わないし、外国人にとっては、さっと切符を見分ける時、やっぱり英語の方が便利な可能性が高い。
となると、この表記を便利に感じるのは、小学校教育を満足に受けられなかった日本人の大人ということになってしまうのではないか。
もちろん、それが悪いと言うつもりはまったくないのだけれど、少なくとも切符のような、誰でも買うため、多くの人への分かりやすさが要求されるものに関しては、ちょっと「分かりやすさ」の方向がずれていると感じざるを得ない。
そんなことをつらつら考えながら切符を見つめていたら、
あやうくバスに酔いそうになった。
「分かりやすさ」って奥が深い。