北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

芝居がかった嘆きの真意

最近、我が家の周りは猫の王国だ。

どういうわけだか、猫たちが
わがもの顔にふるまっていて、
派手にドタバタと走り回るお陰で、屋根のひさしが壊れ、夜中でも目が覚めるほど。

どうも野良猫と、野放しの飼い猫の、両方が混じっているらしい。

そんな音や鳴き声を聞いていて、ふと思い出したことがある。

やはり胡同に住んでいた時、近所に面白い小学生がいた。
その子がある日、敷地中に響き渡るような大声で泣き出した。
「あーん、うずらが死んじゃった!」

どうも、ペットとして飼っていたうずらが死んでしまったらしい。
可哀そうだなあ、と思いつつ、ちょっとおろおろする。

すると、声は止むどころか、さらに大きくなり、
「うずらちゃん、あんたがいなかったら、私はどうしたらいいの!」
と繰り返し始めた。

これは、私の翻訳のせいばかりでもなく、実際に芝居がかった言い回しで、
普段子供が使うような言葉ではなく、
ドラマの中で最愛の家族や恋人なんかが死んだりした時ぐらいにしか、聞かない言い方だ。

私の知る限り、軒先で飼われているそのうずらは来てまだ1日、2日足らずだったので、
私の頭は「??」に。

確かに、ペットが死ぬのはつらい。
きょうだいがいなくて、一人で遊ぶ時も多いその子にとってはなおさらだろう。

でも、あのうずらはそこまで情が移るほど長く飼ったわけでもないし、そもそも、
その子の嘆き方はどうしても、テレビドラマを真似しているみたいに聞こえてならない。

私は同情しながらも、つい可笑しさがこみあげてしまい、必死で笑いをかみ殺した。

その後、その子の親の声がして、ぴたりと泣き声が止んだ。

だが、数時間後、また同じ声量で、泣き声が繰り返され、
また少しすると、ぴたりと止んだ。

その日の晩、その子の家の軒下を通った時、聞こえてきたのが、新しく来た子猫の鳴き声だった。

子供を慰めるためにしても、えらく素早い対応だな、と思ったとたん、
私ははっとした。

あの泣き声は、半分は本泣きにしても、もう半分は、
「ペットを飼わせてあげる」という数日前の親の約束を、
「履行済み」から、「未履行」にリセットさせるための、
「訴え」だったんじゃないだろうか。


誤解だったら許してね。

でもやっぱり、すごいよ、その交渉能力!