北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

遅ればせながら、北京映画祭について

今年、7回目を迎えた北京国際映画祭。
北京に来たばかりの時は、北京で国際映画祭が開かれたらどんなにいいだろう、と思っていたが、いざ始まってみると、
商談ベースの映画祭という位置づけで、正直、あまり期待できないなあという印象だった。

だが7年の間にイベントの質や規模はだいぶ変わったようだ。
商談を強く考慮している点や、審査委員長が中国にとって政治的にわりと無難な人物(今年はビレ・アウグスト)で、作品の選択にも「一定の限界」が感じられる点は変わらないように見えるものの、
今や北京の住人にとっては、
普段はめったに映画館では観られない良質の映画が映画館で見られる、貴重な機会となっている。

特に、今年は日本映画が44本も紹介された。
http://www.gewara.com/movie/filmfest/beijing7/movieList.xhtml?flag=&state=%E6%97%A5%E6%9C%AC&type=&cinemaid=&typelang=guojia

政治的な理由で韓国映画はゼロ。でもなぜかアメリカ映画はかなり多く、不思議な比率に頭をひねった。ただ、アメリカ映画に古典的名作が多かったのは、「埋め合わせ」による対抗処置だったのかもしれない。

それはともかく、北京でもわりと映画祭などを積極的にやっているロシア映画でさえ1本(ソビエト時代のドラマは2本)だったので、日本映画の多さはかなりアンバランスでびっくりした。すでに増えつつある日本映画の輸入がさらに増えるきざしだと信じたい。

が、映画祭の規模の拡大と比例するように、北京の映画ファンの層も深く広くなっている。それゆえに、チケットの取得競争も熾烈だ。

ネットでの購入受付が始まった日の正午、PCの前で待ち構えていたものの、瞬発力の悪さや、ネットの混み具合などのさまざまな公私の障害があり、さらにお財布の関係もあって、観たかったものは結局2本しか買えなかった。

びっくりしたのは、中国で最近人気が高い是枝裕和監督や三谷幸喜監督の作品をはじめ、海外で人気を博した作品の多くが、発売後1時間くらいで完売してしまったこと。
かくして、私が予約できた劇場での席も、普段ならめったに買わない、端の方の席ばかりだった。
でも、本来なら中国をあまり出られない、一般の映画ファンに向けて優先的に販売されるべきチケットだから、贅沢は言えない。
それに、最前列の一番隅で映画を観る長所もわかった。
前が開けていて、足がゆったりと伸ばせ、しかも斜めではあれ、前列の真ん中にいるよりは、全画面が視界に入りやすい。

それはともかく、肝心なのは鑑賞した映画。
一本目は、今回唯一のロシア映画、『Рай』英語名は『Paradise』。
http://www.imdb.com/title/tt4551318/

進んでナチスに協力した結果、収容所でのユダヤ人虐殺を助けることになった兵士たちの、心の矛盾を描いた映画だ。結局のところ、強くゆるぎない偏見がないと、誰も一般市民の虐殺などできない。さもなくば、心が壊されていくのみ。
当時のアジアはもちろん、今現在も戦場では起きているはずのことで、何ともいえない余韻が残った。
大きな皮肉だが、やはり今戦争に加担している国の監督にしか撮れない力強さかもしれない。

政治的に右と左に極端に傾倒した人々の類似性が暗示されているという点で、個人的には二二六事件を思い出した。
ドイツ兵たちがロシア文学に傾倒していたという設定など、リアリティの検証が私には難しい点もあるので、満点はちょっと保留してしまうのだが、
とにかく、こういう映画をロシアとドイツの映画人が一緒に撮ったというのがすごい。
簡単には比べられないけれど、日中ではまだまだ無理だろう。

さて、2本目は『On Body and Soul』。
http://www.imdb.com/title/tt5607714/combined
孤独な男女が夢の中で出会い、現実でも結ばれる。
そんなあらすじだけ読むと、ファンタジックなラブストーリーという印象で終わってしまうが、実際に観ると現代人のさまざまな状況や価値観が交錯していて、深い。
精神的な障害がある主人公の描き方にも工夫が凝らされている。

特に印象的だったのが、現実と非現実、正常と異常といった境界のさまよい方。まさに映像芸術の極致だ。

作品そのものも感覚があれこれ刺激され、良かったけれど、
2017年のベルリン映画祭の金熊賞受賞作が受賞の2ヶ月後に北京で、しかも一般の観衆向けの上映で観られたことにも感激した。

正直、出血シーンやヌードシーンなど、よく上映許可が下りたなあ、と思うシーンもちらほら。

それでも敢えて上映したのは、世界の映画祭の受賞作を公開することで、中国の映画人を世界クラスに一歩でも多く近づけたいという意図からだろう。
そういえば最近は中国の映画チャンネルでも、映画の評論に力を入れているのが明らかに感じられる。

もちろん、中国でいい映画を育てるのに肝心な点は、もっと他にあるはずだ。
でも、こういう時によく思い出すのは、中国の進歩的で行動力もある知識人の友人が言っていた言葉。
その人はコップの水を指しながら、言った。
「大事なのは、『まだどれだけ足りないか』ばかりを責めるのではなく、『どれだけ増えたか』にも注意を払うことだ」。

どんな形であれ、世界のいい映画が北京で一般向けに上映されることはすばらしいこと。
厳しい制約がある中で頑張ったであろう関係者の方々に賛辞を送りたい。