北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

第三回北京国際映画祭と映画「Modest Reception」

15日より、いよいよ今年で三回目になる北京国際映画祭が始まった。
年々、パワーアップしているとは感じていたけれど、
今回は何と、審査委員長がニキータ・ミハルコフ!!
この人選はとても微妙であり、巧みでもあると思う。

父親は、ソ連の国歌の作曲者という芸術家一家に生まれたサラブレッドながら、お兄さんとは違ってハリウッドへは行かず、ソ連体制下の国内に残ることを選んだミハルコフ。海外でも高く評価されるような芸術性の高い作品をしっかり撮りつつ、ソ連国内でもはじき出されないよう、それなりに評価される作品を撮って、しぶとく体制下を生き抜いた。

彼の「太陽に灼かれて」ではスターリンの大粛清の恐ろしさが描かれているし、このほかにもスターリン時代以前の古き良きロシアを懐かしむような映画を撮っているのだが、その意味を中国の状況とひき比べてみると、けっこう意味深だと思う。でもきっと彼ほど、今の中国の映画界を体感的に理解できる外国人の監督は、そう多くない。

ちなみに私は昔、どういうわけか彼が監督した「黒い瞳」にノックアウトされ、マストロヤンニの演技の大ファンに。チェーホフの短編が下敷きになっているということもあり、繰り返し繰り返し同じ作品を観てしまった。

そんなミハルコフがお出ましなら、と映画祭について改めて調べてみたら、今回は中国で一番しっかりと映画を紹介している映画サイトだと思ってきたMtimeも協力しているので、さらに嬉しくなった。

正直なところをいえば、実はこの映画祭には、一部の上映映画の選定などを含め、まだまだ(×2)不満もある。でも、いろいろ制限があるであろう中、スタッフもきっとせいいっぱい頑張っているんだろうな、と思う。

ならば、一本観てみようということで足を運んだのが、イラン映画「Modest Reception」。

敢えて日本語に訳せば、「謙虚な受け入れ」という感じかもしれない。昨年2月、ベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞をとっているので、出来立てほやほやの新作という感じはないが、一応今回も、映画祭の最高賞である天壇賞候補だ。

実際に観てみると、内容はかなり意味深だった。(以下ちょっとネタばれ)

国境を不法に越え、さまざまな手管を用いて、貧しい者たちに巨額のお金を恵んでいくカップル。彼らは時に敢えてかなり「嫌らしい」やり方でお金を相手に押しつけるが、心の中の人間らしさは決して失っていない。だが、「ある人に頼まれた」というその行為は、やがて思わぬ方向に人々を導いていく……。

イスラム世界の常識というものもいろいろ背景にあるだろうと思うので、意味を取り違えているかもしれないが、押しつけがましい慈悲は社会の歯車を狂わせ、巨額の「たなぼた」はそれを受けた者の人間性を歪ませていく、という人の世の道理を、寓話的に描いているように思い、興味深かった。
資本主義への批判ととる向きもあるようだけれど、平等性を取り違えた福祉政策を批判しているとも読める。イスラム的平等思想への省察もあるのかもしれない。

また、国境の外の荒涼とした風景をひたすら車で走り続ける、という映画の設定には、イランの映画界の置かれているであろう厳しい現実も連想させられた。

時間も資金も限られているので、恐らく今回観られるのは一本だけだけれど、北京映画祭には、今後も頑張ってほしい。というかむしろ、当局が意味のない検閲や干渉の方を頑張らないでくれたら、映画祭にとってはいちばんの励ましになるのだろうが。