北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

注意深さがあだに

現在、仕事で東京滞在中。
東京はまだまだ分からないことばかり。渋谷では、犬を連れた欧米人のおじさんが、迷っていた私たちの道案内をしてくれた。

ところで、今回も宿は南千住。

中国に長く住んだ者が帰国中、気をつけなければならないこと。
それは信号無視をしないことだ。

以前、北千住あたりで、車の走る音も人の気配もまるでない細い細い道を夜、いくつか信号無視していたら、大通りに差し掛かったところで、まだ渡っていないのに、おまわりさんに「信号無視をしただろう」とつかまったことがあった。どうも後ろからパトカーでつけてきていたらしい。

おまわりさんの目は闇を恐れないばかりか、未来をも見通す千里眼。というわけで、今回も宿の近くで細い細い道の向こうに交番が見えてくると、おのずと注意深くなった。
「赤信号だ。他はどうあれ(?)ここでは止まらなくちゃ」
私は立ち止まる。道の向こうでは、夜道を歩く私たちに、二人のおまわりさんが目を向けている。

「渡っちゃおうよ」と促す相棒に、
「いや、日本では車が来てなくても、赤信号ではぜったいに止まらなきゃいけないの!」
と必死で諭す。

「いや、ここならだいじょうぶだよ」
「ほんと、つかまっちゃうんだよ。私つかまったことあるんだから!」
と半分怒り始める私。

 …………

しかし、いつまで経っても、信号は変わらないし、交通ルールを守っているのに、おまわりさんは、ますますじっと、不審げな目で私たちを見ている。

なんで???

ふと気付いた。赤信号だと思っていたのは、交番のランプだった。
いつまでも赤なのは当たり前。

慌てて道を渡る私たちを、物色するように見るおまわりさんたち。
そりゃ当り前だ。彼らにとってみれば、私たちは交番を見て、おびえたように立ちすくみ、動けなくなった、国籍不明の人たち。

せめて、おまわりさんが中国語を解さないことを祈るばかり。
じゃないと、「つかまっちゃう、私つかまったことある」などと言い争っていた私たちは、ますます怪しい存在に。

翌日、同じ交番の前をドキドキしながら通ると、酔っぱらったらしきおじさんが、おまわりさんの持つ杖状のこん棒に喧嘩を挑んでいた。

「いいのか?殴るぞ?」

と言いながら、ふらふらとおまわりさんの握る杖を殴っている。
ただの通りすがりに言いがかりをつけているだけなので、きっと公権力が根っから嫌いなおじさんに違いない。

笑ってしまう構図だったが、どこか泣きたいような気持にもなった。

こうして、日々積み重なるちょっとした不審な事件の中で、夜中に大荷物と松葉づえを手にやってきて、交番の前で長らく足がすくんだ国籍不明の人間たちをめぐる不審な印象も、徐々に薄まっていくのだろう。

東京の闇もなかなかに深い。