北京は自由なのか
先日、798と黒橋芸術区に行った。
たまたまだが、一日の内に、現代アートつながり、という以外はいろんな立場で北京に住んでいる(または住んでいた)外国人たちの声を聴くことができた。
個別に話を聴いたのに、驚いたのは、オランダ人も、フランス人も、イタリア人も、みな「北京では心が自由でいられる」という意味のことを言っていたこと。みな、本国では、何か息苦しさ、型にはまった何かを感じるらしい。
さらにはっとしたのは、この「心が自由でいられる」という言葉は、数日前、あるインタビュー中に自分がうっかり口にした本音でもあったこと。
もちろん、みな北京にいる間は何らかの不自由があって、中には作品のウェブサイトが国内では見られなくなったりしている人もいる。社会全体に加えられている自由への制限は強いと、恐らく誰もが思っている。
なのになぜだろう?、うまく説明できないもどかしさは、他の外国出身者たちも共有しているみたいだった。
でもお陰で、私が北京で自分らしく暮らせている理由もおぼろげながら再確認できた。
やはり不安になったり、息苦しくなった時は、価値観を共有できる人たちと交流するのが一番なのかもしれない。