北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

隆福寺をめぐる都市伝説

NHKの中国語ラジオテキスト「まいにち中国語」の8月号が出ました。
張全とともに毎月、口絵と巻末コラムを担当させていただいているのですが、

https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=09101082014

8月号のテーマは北京の露店市。

取材しながらつくづく思ったのは、
同じ通りでも、時間帯によってかなり表情を変えるということ。

とくに隆福寺街の変化は衝撃的でした。

これまで実は、隆福寺街って冴えない通りだな、と思っていたのです。

隆福寺周辺について耳にするうわさも、「昔はすごかったけど今はダメ。風水が壊されているから」といったものばかりでした。

かつてここにあった隆福寺は、廟会(縁日)の盛大さで名を馳せたお寺。
でも、清末の1901年に当直のお坊さんが供物台の前で居眠りしていた時、灯明を倒してしまって大火災が発生。

一部の伽藍と山門を残し、寺の大半がほぼ焼失。当時は再建の力もなく、そのままになったのだとか。
それでも、残りの建物と山門はその後半世紀以上残されていたようなのですが、60年代には市場の開発のために山門を壊し、76年の唐山大地震でわずかに残っていた建物も跡形もなくなってしまったようです。お坊さんの居眠りはうっかりミスですが、せっかく残っていた山門を自主的に壊したのは、今から考えると惜しい。

一方、廟会は解放後の50年代まで続いたものの、やがて東四人民市場に取って代わられます。この東四人民市場は、当時、北京最大の露店市場だったらしいです。

さらに、改革開放まっさかりの80年代以降は、寺院の跡地や周辺に巨大ビルが続々と出現。
寺の焼失も惜しいが、致命傷はやはり、この巨大ビルが風水を壊してしまったことだ、というのが多くの北京っ子たちから聞く意見。

まだそれでも、十年弱前くらいまでの隆福寺街は、地方出身の人で賑わっていて、流行からは10年くらい(?)乗り遅れていても、それなりに活気がありました。
つまり、かつての門前町としての繁栄の名残はうっすら感じられたといえます。

でも、どこか気合の感じられない改修工事がだらだらと続いているここ数年は、昼はほんとショボショボで、なまじガラガラの映画館が2つもあるばかりに、余計寂れた感じがしていました。今、その内の一つは閉館中。

ところがどっこい、先日、朝7時台に隆福寺の朝市を訪ねると、びっくりするほどの賑わいぶり。
どこから湧いて出たのか、と思うほど、続々と人が押し寄せていて、目を疑いました。
昼以降の気の抜けた様子とは雲泥の差。

ただ、9時頃には終わってしまうので、北京一早い朝市とも言われているのだとか。
道理で、夜型人間の私が、存在を知らずに10年以上過ごしていたわけです。

ちなみに、隆福寺跡に建った巨大ビル、隆福大厦を壊し、隆福寺を再建する、という、あり得なくもないが、やはりちょっと信じがたい計画が発表されたのが2年前。

その後、計画がどうなっているのかは不明。ビルもまだあります。

私は一度も入ったことがありませんが、この隆福大厦は、建設当時、北京最大の百貨店とされたそう。

でも土台を作る時に、明の建国期の文人、劉基の碑文の入った石碑と巨大なカメ型の台座(神獣の贔屓か?)一対を掘り起こし、運び去ってしまったので、
隆福寺の景気はそれ以降、絶望的にダメになったのだとか。
石のカメが商売運を持ち去ってしまったとでもいうのでしょうか。

時代によって外観を大きく変えるのは繁華街の常ですが、隆福寺街の変化のダイナミックさは、想像の範囲を超えます。
それに加えて、このちょっと呑気な都市伝説。

もちろん、カメの行き先も、気になるところです。