北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

竹田信平『α崩壊』の開く地平


この夏に手にしてからずっと気になっていた本を、一気に読了。

アメリカ大陸に住む広島、長崎での原爆体験者の証言にせまり、
その強烈な記憶をアートを通じて追体験するという、
たいていの人は諦めてしまうような、ほぼ不可能にみえる試み。

そんな重たくて危険な試みに巻きこまれた後なのに、読後は不思議と清々しい。
それはきっと、「街の記憶」にこだわり続けている私にとっては、
この本が「頭」で読む以上に、「感覚」で読みながら、胸に刻む本だったからだ。

圧倒されるのは、ただ精魂を傾けて、ひたすら現在進行形で、表現が行われていく、という生々しさ。
そしてそれ以上に、そのアクションを世界のあちこちで仕掛けていく、その名の通り核分裂のようにとめどないエネルギー。

犯罪といつも隣あっている街、ティファナ、反日デモが繰り広げられていた頃の北京、京都の学校跡を利用した展示スペース、サンパウロ、ブエノスアイレス、そしてずばり国連の会議場……。
クリックひとつで、世界のどの街ともコンタクトが取れる時代に、竹田さんはあえて肉体をあちこちへと運び、周囲の人々を巻き込み、化学反応を起こす。まるで何かにとり憑かれたかのように。

世界も人類も、崩壊の瀬戸際にあることをまざまざと感じながら、
でも無力感に打ちのめされず、行動を起こしていく姿を前に、
物質のレベルを超えた何かの「力」を感じるのは、むしろ当然なのかもしれない。

壮絶な「記憶」に肉薄しようとして、極限状態になった作者の精神は、
やがて、より大きな時空に蓄積されてきた先祖たちの記憶と呼応をはじめる。

現象は核分裂なのに、いつしか地球や人類とリンクしているのだ。
その気が遠くなるようなスケールの大きさは、
正直、その昔、天文ファンだった私のツボにぴったりとはまってしまった。

核の破壊性をはらんだ世界と誠実に向き合い、
そこにクリエイティブなアイディアでコミットしていくのは、
今、切実に必要とされていながら、とても難しく、苦しく、犠牲を伴うこと。
でも、『α崩壊』を読むと、何だか新たな次元の地平線が見えてきて、
まだ希望は捨てちゃいけないな、と何だかちょっと肝っ玉がすわる。

(この本を読んだ後で紹介するのは恥ずかしい限りだけれど、
竹田さんの北京でのプロジェクトについては、こんな拙文も↓)
http://artscape.jp/focus/10058599_1635.html