北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

白タクドライバーの温情

ここ一週間ほど、山西省に取材旅行に行っていた。
山西省を訪れるのは9年ぶりで、いろいろと変化も感じたけれど、
変わっていないな、と思ったのは、
誠意をもって堅実に仕事をしている人に出会う確率の高さだ。

特に印象的だったのは、最終日の一幕。
ある遺跡で、私は南方出身という、ある旅人に出会った。
自称82歳ながら、一人で旅をしているらしい。

現地に不案内なのだろう。もごもごとした口ぶりで、
次の目的地に行くための交通手段を聞いてきた。
どうも、近くに列車が通っているかどうかさえ知らないようだ。

最初は一つ一つ丁寧に答えていた私も、途中でおかしいな、と思い始めた。
覚えられないのか、同じことを何度も尋ねてくる。
しかも、田舎の人にはありがちとはいえ、
プライバシーに関わることを、あれこれ知りたがる。

自分がいつも助けられている分、困っている人がいたらできるだけ助けたい、と思ってきた私も、さすがに、この人と深く関わると、もともとタイトな計画が狂いかねない、と思い始めた。
さんざん歩いた後で、疲れていたことも、イライラ度を高めた。

そのうち、おじいさんに頼られて、あれこれ助けざるを得ない状況になるかもしれない。
そんな予感がした私は、急いでいるのを口実に、
話が途切れたのを見計らって、相棒とともにその場を去った。

だが、そう思った相手ほど、行く先々で会ってしまうものだ。
次に休憩をとったベンチでも隣り合せになった上、
さらには広々とした広場の入り口でも、おじいさんとばったり会った。
その時、何とおじいさんは、ほぼ360°視界が開けたその場所で、立ちしょんべんをしていた。

一緒にいた相棒も、「こんなところで……」と絶句。
やっぱこの人と関わるとやばそうだ、といよいよ思ってしまった私は、
「急げ急げ」とせかす相棒の言葉にとびつくように、そそくさとその場を去った。

だがその直後、広場の近くで移動手段を探していると、またまた例のおじいさんがいた。
熱心に客引きをしている白タクのお兄さんたちに囲まれている。

一人のお兄さんが、親戚を歯医者に連れて行くので、ガソリン代だけでも稼ぎたい、と、
安めの値段で慌ただしく客引きをしていた。
提示した価格が来た時より安かったこともあり、私たちは彼の車に乗ることにした。

が、急いでいるはずのそのお兄さん。おじいさんが同じ方向に行きたがっているのに気付くと、おじいさんに「一緒に乗ったらいい」とせかす。

私はちょっと不安になりながらも、
やっぱりこのおじいさんとは縁があるんだ、と観念する。

すると「渡りに舟」ですぐ乗ってくると思っていたおじいさんは、意外にも断った。
「いいよ、いいよ、自分で別に探すから」

だがお兄さんも、焦っているはずなのに、
「あんたは高齢だから、タダで乗せてやるよ」
と言ってきかない。

「いや、それは悪い」
「ほんとうに送ってあげるから」

そんな押し問答がひとしきり続いた後、
おじいさんはそこまで言うなら、と大人しく同意した。

交渉成立、ということで、
お兄さんは、私たちを乗せ、おじいさんも乗せ、いよいよ出発。
やがて、歯医者に行くという親戚のおばさんもピックアップ。
乗客を巻き込んで、あれこれよもやま話をしながら、
明るく楽しく私たちを県城まで送ってくれた。

そんなお兄さんを見て、私は自分の器の小ささが恥かしくなった。
最初の印象で判断してはいけない、と思いながらも、やっぱりどこかで人を分類していて、
しかも最終的には、自分の利益を最優先にしてしまっている。
自分自身も、第一印象で分類されることにいつも辟易しているのに。

目の前に現れたのが、屈強なお兄さんなら、土地に不案内な女性である以上、ある程度の防衛本能も必要だろう。
だが相手は80代にはとても見えないとはいえ、そこそこ高齢のおじいさんで、しかも同じ旅人だ。

人のプライバシーを考えず、あれこれ聞いてくるのは、
「聞いてはいけない」という意識がないのだから仕方ない。
こちらも負けずに相手のことを、あれこれ聞けばいいのだ。
好奇心はいつでも大全開、初めて会った人にも、ある程度自分のことをさらけ出し、
フランクにつき合うのがこちらの人の流儀なのだから。

私は、もっと心を広くもたなくては、と心底反省した。

ほんと、旅ではいろんな人に出会い、いろんな経験をする。

白タクのおにいさん、ありがとう。

最後に今日は端午節だったので、現地の街角で見た節句の準備風景を。

拝めるものなら何でもござれ。

日本では、違う神社のお守りを同じ場所に置かないようにしたりするけれど、
どうも、ここの店主は、神様同士は喧嘩なんてしない、と信じ切っているようです。