北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

胡同はやっぱり「森」だった

常々、歴史ある胡同はどこか森のようだ、と感じていて、近々発売されるはずの文集の中でも、「胡同の夜明けは森林の夜明けのようだ」という意味の言葉を書いたのだけれど、これまでそれはどこか直感に近いものだった。でも、

今回、藤森照信氏のインタビュー記事を読んで、なるほど、と思った。
http://sumai.nikkei.co.jp/sp/mfrmaga1307/article.html

思わずそうそう!と頷いてしまったのは、「保存、再生建築を見た時に人の心が落ち着く理由」をめぐる、藤森氏の以下の発言。

「建築は人工物ですが、長い歴史を経るなかで、あたかも昔からあった森の木々のように、人の美意識のなかに自然に調和してくるということがあるんです。初めて見たのになぜか懐かしい建物ってあるでしょ。そういう建築の自然性のようなものを私は大切にしたいですね。」

胡同の建物にも、初めて見るはずなのに、ものすごく心落ち着かされ、惹かれてやまないものがいくつもある。私の場合、それは懐かしいという言葉だけでは括りきれないものなのだけれど、そのあいまいでカオスな感じを、うまく言葉にする努力、私も諦めずに続けたい、とこの記事を読んでしみじみと思った。

実は北京でも、若い世代の胡同ファンは増えているようで、胡同歩きの成果を喜んでブログにアップしている記事をよく見かける。何はともあれ、古い街並みへの関心が日中を問わず高まっているのはとても嬉しい。