北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

北京を旅する二冊

空想上の旅にせよ、実際に歩く旅にせよ、
良質な旅の本には、二種類あると思う。

まずは、①旅先で出会った人や風景への見方や接し方、対象との距離感などが独特かつ生き生きとしていて、「新たな旅の味わい方」を教えてくれる本。

次に、②具体的な一つ一つの場所や風景をめぐって、思いがけぬエピソードやディテールを教えてくれる本。

一つだけでも十分ありがたいが、
この二つがコンビを組んでいたらもう完璧。

旅心に駆られた時期なら、まさしく腕に翼をつけてくれる本、ということになる。
反対に缶詰生活の時などは、けっして手にとってはいけない、禁断の本だ。

そんな素敵な本、しかも北京を主なテーマにした本が、ここ半年の間に二冊も生まれた。

一冊目は沢野ひとしさんの『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)。

光栄にも、私はこの本を沢野さんご自身から直接いただくチャンスに恵まれたのだが、その時はまさに缶詰生活の真っ最中。

旅ごころを誘いまくる、あまりにも「危ない本」だったため、何章かひろい読みした後、恐ろしくてしまい込んでしまった。

缶詰から出た後に、恐る恐る通読してみたところ、期待をこえる面白さ。
「おお、やっと出てくれた!」と小躍りしたくなった。

本書には北京だけでなく、黄土高原や杭州や貴州などを気ままに旅する沢野さんが登場する。
沢野さん自身は恐らく、何かを見つけてやろう、ときばっているわけではないのだろう。きっと、素直な好奇心に従って前進しているだけだ。

でも、その好奇心には、お、そっちに行くんだ、といった意外性がたっぷり。
だから、読む方はその思いがけぬ方向感覚そのものを楽しめてしまう。
しかも、親しい友人とてくてく旅しているかのような、気楽な気分で。

といっても、この本はただ気楽に読めてしまうだけではない。
きちんと読めば、実は中国の人や社会を理解する鍵も、いろいろと盛り込まれていたりする。
もちろん、解説書を読んでいるような堅苦しさはまったくなく、知らず知らずのうちに未知の国で誰もが出くわす「もやもや」が晴れてくるしかけだ。

そうやって「もやもや」が晴れてくると、現地にゆかりのある人たちの様子や生き方が、ちょっと身近になって、立ちあがってくる。

そしてもちろん、沢野ひとしさんといえば、味のあるイラスト。
こちらもまた、あれこれと想像を誘うちょうど良い情報量で、ほのぼのとイメージをかき立ててくれるものばかり。

北京のことをほとんど知らない親戚に「ぜひ」と勧めてみたくなる本というものはありそうでそうないが、『北京食堂の夕暮れ』はまさにそんな本だ。

二冊目は、写真家で画家の沈継光さんによる力作、『郷愁北京』(広州師範大学出版社)。

沢野さんの本が、①の中に②が溶け合っている本だとすれば、こちらは②の積み重ねを通じて①に到達できてしまう本だといえるかもしれない。

美しいモノクロ写真とその説明によって構成されており、今はもうない風景も多数盛り込まれている。
まさに長年、胡同の写真を撮り続けてきた沈継光さんの古き良き北京への思いがぎっしりと詰まった一冊だ。

よくある胡同の写真集とくらべ、建物の内部や局部の写真も充実しているのが好奇心をそそる。
場所の解説もまさに多すぎず、少なすぎずで、今と昔の北京をゆったりと行き来しながら旅したい人にふさわしい。

じつは私はこの本のことを、沈継光さん本人を呼んだ講演会を通じて知った。

北京の文化財を撮影するコツの伝授を兼ねたそのイベントは、例の北京文化遺産保護中心が主催したもので、定員を大幅に超えた人たちで賑わっていた。

会場では本書に収められた写真を次々とスライドで上映。
スクリーンに映し出された、詩的で味わい深い胡同の風景は、画家出身の沈さんらしく、いずれも構図が考え抜かれたもの。

でも一番印象に残ったのは、風景の写真ではなく、老舎故居で撮影されたという、ある日めくりカレンダーの写真だった。

文豪老舎が謎の死を遂げた日を示したまま、そこだけ時が永遠に止まったカレンダー。
文革中、やはり兄弟が党の命令と良心との間で板挟みになって苦しみ、自殺したという沈さんは、特別な思いを込めてその写真を撮ったという。

ちなみに、『北京食堂の夕暮れ』にも文革を牛耳った康生をめぐる、意外で興味深いエピソードが出てくる。

つまるところ、
北京を舞台にした壮絶な歴史的事件の、悲劇や矛盾や皮肉にみちたディテールを無理なくふまえつつ、北京の今と昔の差やつながりを誇張なく伝え、

その上で、北京の今と昔のギャップをじっくりと吟味させてくれ、

最後に、やっぱり北京って行ってみなくちゃ分からないな、とそう素直に思わせてくれる本。

この二冊はまさにそういう本だ。
だからこそ今、とっても輝いて見えるのだと思う。