北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

『西遊記 はじまりのはじまり』と、その他あれこれ

「インサイトチャイナ」の10月号に、
この秋、日本で公開される映画『西遊記 はじまりのはじまり』のレビューを書いた。
http://www.insightchina.jp/newscns/emag/
タイムリー?にも今回は香港映画。

映画界においても大陸の資本が大きな力を持っている昨今の傾向をみていると、「香港映画」という分類がいつまで成り立つのか、というのは気になるところだけれども、周星馳という天才は香港という土壌があったからこそ生まれた、という点は間違いないと思う。

現在、香港で行われているデモを見ていて、思いは複雑だ。
単純に民主的な選挙を求めてのデモだと捉えることもできるし、実際に多くの学生はその角度から参加しているはずだと思う。その意味では心から支持したいし、注目もしていきたい。

しかし、彼らが闘っている相手を思う時、少し前の香港滞在のことを思い出さずにはいられない。その時、香港の人たちの「北京」へのまなざしの冷たさを感じ、ちょっとやるせなさを覚えたからだ。正直、北京語が通じる香港人は以前より増えているように感じたが、北京語を話す大陸人をそこまで歓迎しているようには見えなかった。

じっさい、「北京」のやり方に「意見」があるという香港人にも出会った。
ここでいう「意見」とは、「言いたいこと、文句」という意味だ。
残念なことに、その人とゆっくり話す時間は得られなかったのだが、私は心から、その「北京」という言葉が、実際の北京ではなく、「中央政府」という意味であって欲しい、と思った。

今回の香港でのデモに香港経済の動きが関係していることは、多くの人が指摘しているもよう。株価の動きをめぐる噂の真偽はともかく、大陸の資本力に、香港人が危機感を抱いている、というのは確かだろう。だが、それを論じる前提となると、北京と香港の間にはギャップがあるように思われてならない。

恐らく、香港人の多くはあまり意識していないことだろうが、ここ20年のあいだ、北京では香港の資本が「開発」に名を借りて、多くの胡同を押しつぶした。投資を募る際は、北京市長が自ら香港に赴いたといわれている。

民主的なシステムが働かない場合、お金の力は時に、土地に根付いた貴重な文化や生活スタイルを無批判のまま押しつぶしていく。北京政府よりの人たちが、香港の動きを恩知らず、と罵るのは不当ではあるが、裏に「お前たちの資本が大陸でのさばれたのは誰のおかげだ」という思いはあっておかしくない。

ガス田の開発を前に、汚染、および土地を失うリスクと巨大な金銭的利益の間で揺れる人々を描いた映画『プロミスト・ランド』(http://www.promised-land.jp/)は、あまりに普遍的なテーマを扱っているのでとても魅力的だが、民主的な力が結果を左右しうる、という意味で、あくまでアメリカでの話だ。

つまり今回のデモが、自分たちはあくまで香港人、だから民主的なシステムが必要なんだ、とのみ考えるのではなく、イギリスの統治を経た経緯をもつ土地として、巨大な資本が持っている暴力性をふまえた上で、それにだって抗いうる民主を中国そのものに根付かせたいという動きであるのならば、つまり、香港と大陸の相互の力関係を客観的にふまえ、大陸の問題を自らの問題ととらえていく動きとなるのなら、私はより積極的に支持したい、と思う。

あくまで希望的観測だが、香港の大学へは大陸からも大量の学生が通っている。だから、そうなる可能性は十分にあると思う。