北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

消えたタイムズスクエア

今年の春節は、普通の人にとっては尋常すぎるほど尋常なのに、私にとってはかなり尋常ならぬ迎え方となった。新しい家族が忽然と何人も目の前に現れたからだが、それはもうおとぎ話のようなことなので、フィクションの世界に投げ込むことにする。

日本と中国の両方で正月を迎えると、何だか二年分、年を取った気分になるけれど、その一方で、日本も中国もお正月らしい雰囲気、中国語でいう「年味」が以前のより弱まっているように感じる。ただ自分の気合が足りないだけなのかもしれないが。

何はともあれ、「春節なんて祝わない」という選択も十分あっていいわけで、いろんな人がいろんなところから集まっていろんなことをしているのが北京の魅力であることは間違いない。だがその反面、代々北京に住んできた北京っ子の存在感は年々薄くなっているようだ。

そのせいか、いつも春節になると、北京の街が北京っ子の手に戻った感じがしてちょっとほっとする。とりわけ夜に後海などに行くと、きっと1990年代くらいまではここもこういう静けさだったはず、と想像でき、昨今のバー街のはちゃめちゃぶりとのギャップが面白い。

特に今年は例年より爆竹がおとなしかったので、余計そういう感じがした。さすがの北京市民も煙霧には懲りているのだろう。おかげで戦争の夢も見ずに済みそうだ。

ただちょっと残念なことに気付いた。春節前の大みそかの晩、私が至極勝手に「北京のタイムズスクエア」と呼んでいる鼓楼と鐘楼の間に行ったら、とてもひっそりとしていたのだ。

昨年は周辺が取り壊し騒ぎの真っ最中だったので、盛り上がりに欠けても仕方なかったのかもしれないが、かつて大みそかのここは人であふれかえり、爆竹やら簡単な花火やらで華やかなことこの上なかった。鐘楼の除夜の鐘も聞こえないくらいで、「これじゃあ、鐘ついても意味ないんじゃ?」と思ったものだ。
いわば、民間で自発的に盛りあがった年越しスポットで、爆竹が解禁になったばかりの頃は、テレビ局なども取材に来ていた。

そこが今年は、先回も紹介した青い鉄の板で囲まれたまま、とっぷり闇の中に沈んでいたのだ。除夜の鐘も聞こえてこなかった。もっともこちらは数年前から止まっていたようにも思うが。

もちろん、事実上は棚上げ状態に近いとはいえ、周囲の取り壊し計画は完全にストップはしていないのかもしれない。だから、人々がここに集まることを当局が極端に警戒している、ということは十分あり得る。

それに、ただでもちょっと危険な爆竹や花火にみんながよってたかって火をつけるのだから、確かに防災面の懸念もあるのだろう。何といっても鼓楼も鐘楼も重要な文化財だ。

でも、火薬が危ないなら、別の何かで盛り上げてもいい。せっかく人々が年越しを楽しむ「場」として自発的にここに集まり、一種の伝統のようなものを作ろうとしていたのに、それを規制するとは、なんてもったいない事をするのだろう。

上手に導けば、地元の文化を豊富にするかけがえのない祝祭の場にだってできたはずなのに。

中国にもそういう「場」へのあこがれがあることは、昨晩のCCTV6の外国映画枠がニューヨークのタイムズスクエアを舞台にしたラブコメディ「ニューイヤーズ・イブ」だったことからも想像できる。

「年味」を地元の人同士でわいわいと味わえる場があってもいい。賑やかな場所が好きではない私でさえそう思うのだから、お祭り好きな北京っ子はよけい「場」の消失を悔しがっていることだろう。

それにしても、あれだけゴースト商店街をあちこちに作っておいて、まだ人の流れはトップの指示次第で思い通りにコントロールできる、と思っているのだとしたら、不思議だ。潰すのは簡単でも、生み出すのは難しいのに。