北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

ガラガラの胡同とギュウギュウの廟会

春節が過ぎ、本格的なサル年到来。
この時期はふだん、人の波にもまれている古都北京が
ほっと一息をつく瞬間のような気がして、
嫌いではないのだけれど、

少し残念なのは、春節の胡同の「ガラガラ度」が
ますます顕著になっている気がすること。

今は胡同の平屋の多くが、地方出身の借家人で占められていて、
春節が近づくと、彼らの多くは帰省する。
それに加え、春節にはバラバラに住んでいる北京っ子の家族も、一カ所に集まる。
その場所が郊外のマンションというケースも少なくないはず。
となると、胡同がガラガラになるのは当然だ。

空気の悪さが多くの人の頭を悩ませているせいか、
今年は爆竹の音も控えめに感じる。
とくに我が家のある一帯の胡同は、並木が多いことから、
火災予防のため、爆竹制限令が出た。
そんなこんなで、ありがたい反面、ちょっと寂しい感じがしたのも確か。

もっとも近年は、
街に出て働いている子供が「親を呼び寄せる」タイプ
(「逆流探親」と呼ばれているらしい)や、
春節は北京に旅行に行く、という過ごし方も増えている上、
北京の近くの農村では、そこまで多くの娯楽もないため、
同じ北京でも、とあるスポットには、この時期、とんでもなく多くの人口が集まる。

それはどこかというと、春節の催し、「廟会」だ。

正直ここ数年、私たちは、人の多い時期の廟会は避けていた。
なぜなら、ほんとうに、冗談でなく、人が多いからだ。
だが、今年はちょっと仕事の都合で、取材相手を探す必要があったので、
よりにもよって、人々が正月料理を食べ終わり、親戚巡りも終えて、
「さあ廟会にでも行くか」と言いだす頃、つまり
「初三(農歴正月三日)」の地壇公園の廟会に足を向けることに。

が、大決心をしたものの、入り口で早々と後悔。
いくつもあるチケット売り場の前が、すべて人でぎっしり!

早くもきびすを返したくなるが、その気持ちを抑え、割と人の少ない東門にまわる。

入ってみると、日本の縁日や花火を知っているせいか、何とか許容範囲。
だが、やはり人の波のうねりは手ごわく、面白そうな屋台に近づくのは至難の業。

ひとつ面白かったのは、一角に台湾コーナーがあったこと。
以前前門にできた「台湾街」の廟会バージョンだろうか。
「台湾寒天QQ糖」の屋台の前が空いていたので、
「やったー」とにじり寄ると、

すでに売り切れ(涙)。
道理で空いているはずだ。

そこで、無駄なあがきはやめて、上ばかり見ることに。

体力不足の者がそういう情況になるのを知ってか知らずか、
頭上のデザインは、けっこう気合が入っている。


チケット代を1人10元も取るだけあって、春節の雰囲気づくりもばっちり。

それにしても惜しいのはベンチのあまりの少なさ。
どうせいくらあっても足りないから、いっそ設けない
というのは分からなくもないが……

木の上のハトたちが羨ましくなる。

やっと見つけた特等席は鈴なり状態。

東門近くに戻ると、ステージで催しが。
でも、人が多くて見えない!
肩車の多さに、中国で子どもを育てる保護者たちの苦労を思う。

赤、青、黄色の信号機というシチュエーションも。
(中国では信号は「紅緑灯」だぞ!というつっこみはおいておく)

ちなみに彼らが観ていたのはこちら。

ちびの私にはとても見えないので、必死でカメラを高く掲げて撮影。

結局、探したかった人も見つからずじまい。
まあでも、こんなにたくさんの人を一度に見れたのも、
ある意味、貴重だよね、と自分を慰めながら帰途につく。

ちなみに、まだ行けていないけれど、
北京の白雲観の“摸石猴”(廟内の猿の彫刻を撫でる縁起かつぎ)も、
サル年の今年は大人気のはず。

それにしても、だいじょうぶかな?

白雲観や東岳廟など、文化財を兼ねた宗教施設で行われる、
いわば正真正銘の「廟会」は、
近年、廃止されたり、規模を制限されたりする傾向にあり、
それはそれで残念に思っていたけれど、
廟会のできる場所が限られている今の状況では、
やっぱり他に手立てはないのかもしれない。

地壇のような人だかりが殺到したら、
どんなに固い石のサルも、やせ細ってしまうもんね。