北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

胡同を歩く会・再スタート

長らく休止状態になっていた胡同を歩く会が、先日の土曜日、再スタートしました。

2004年に始まったこの会。月一ペースで集まっては、北京の胡同をただひたすら歩きまわる、というごく単純な集まりでしたが、いろいろな発見があり、本当に楽しい会でした。

ただ、コアの会員の何人かが帰国し、他の会員のみなさんも忙しくなってしまったのと、私自身の足の問題から、数年前より歩く方の活動は休止状態に入り、私自身も再開は難しいだろうと思っていました。

しかし、いろいろな会員の方から再開を望む声をいただき、しかも昨年末から今年にかけて、新たな会員候補の方に4人も出会うことができたため、これは「好機」ということで、試しに、とまた声をかけさせていただいたところ、

急な呼びかけにも関わらず、初回は9人の方に参加していただくことができ、とても感激しました。

今回は顔合わせと話し合いが主でしたので、東四の孔乙己で食事をした後、段祺瑞執政府址、府学胡同などの黄金コースを回り、カフェで休憩をして、菊児胡同の新四合院を見てから、南鑼鼓巷で解散しました。

ちなみに、府学胡同にある府学小学校は、かつて順天府学などがあった、昔から重要な学問の場でしたが、さらに歴史をさかのぼればお寺で、「北京地名典」に以下のようにあります(抜粋)。ちなみに順天府とは明清時代の北京地方の呼び名で、今の河北省の一部など、かなり広い範囲を含みます。

「順天府学の前身は報恩寺。元末に一人の和尚がここに寺を建てた後、仏像を置こうとしたところ、明の軍が攻めてきた。明の軍は孔子の像を重んじると聞いた和尚は、孔子の像を置いて寺を守ったが、一度置いてしまった像を取り壊す訳にもいかず、そのまま置いておいた。明代には府学になった……」

参加者の皆さま、当日は記憶があいまいですみません。
詳しくは、以前やっていた連載の記事にも記したことがありますが、つまりは明軍から建物を守るために、寺が宗旨替えをしたということです。こういうことはかつてはあまり珍しくなかったようですが、北京でも昔はそこまでして、古い建物を守ろうとした人がいたのに……と、つい今と比べてしまいました。

何はともあれ、今回気付いたのは、北京では黄金歴史観光スポットであってもそれなりの変化に出会えるということ。やはりどんなに忙しくてもこの目で見て回らなければだめだな、と思った再開初回でした。