北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

井戸に落ちたカエルの矛盾

北京での暮らしは楽しいし、周りもいい人ばかりだが、もちろん、お国柄によって日本にはないストレスを感じることもある。

例えば、北京で暮らしていると、ネットの閲覧が不自由とか、携帯電話が途中で切れちゃうとか、郵便物が届かないとか、そういうことがけっこう日常茶飯事となるため、情報のやりとりや通信が不自由であることにあきらめのようなものが生じてしまう。

慣れてしまうのは良くない、とは思っていても、毎回腹を立てたりしていたら、精神的にもたない。

ネットに関しては、今年、無料で壁越えができる手段が分かり、使っていたけれども、それも最近使えなくなった。無理につなごうとしたら、しばらくIE自体が麻痺してしまった。どうも、中国の無料VPN全体が麻痺しているようだ。

予想ではこれは、ジンケンカツドウカへの「飴とムチ」の「ムチ」の方ではないかと思っている。

「飴」の一つは労働改造所の待遇改善。もちろんこちらは、パフォーマンスに過ぎないとは思うが。

裁判所への陳情(正確には上訴)を続けている相棒だって、待合室の建物が良くなったり、行くのが1カ月に一度から3カ月に一度で良くなったりとか、表面上の待遇は良くなっているが、肝心の上訴の内容の解決が先延ばしにされ続けているのは以前と同じ。結局本質的には「無視」されている状態だ。

先日は、例によって「国慶節特別待遇」も受けたらしい。今回の特別待遇とは、北京人の受付だけ日を改める、といったもの。外地人はミニバスである場所に護送され、そこから強制的に帰省させられたもよう。まさに「ハッピーなホリデーを!」というわけだ。

話を元に戻すと、ネットに関しては、ずっとずっと前から、欧米の友人にフェイスブックに誘われていて、有料壁ごえサービスの利用を勧められてきた。
今回、しばらく無料VPNを使った間、フェイスブックへの書き込みも始めたので、サービスを利用したいのはやまやまだし、有料でも業者によってはびっくりというほどの値段ではないので、使っても構わないのだが、ずっと分からないことがある。それは、どんな人がサービスを売ってるのか、ということ。つまり、どんな人や組織にお金を払うことになるのか、だ。

でも、これは永遠の矛盾。だって、そういうサービスの提供者が、身分や思想的立場を明らかにするはずなんてない。

逆行の動きもあるけれども、大筋の流れとしては、どんどんと外に開かれていっている中国。ネット規制だって、いつかは消えると私は信じている。また、サービスの提供者も、規制などあってはならないと思っているからこそ、サービスを提供しているのだと信じたい。

でも、サービスの提供者は本当に規制が無くなる日の到来を「願って」いるのか。何万という顧客からのサービス料が支払われなくなることを、もろ手を挙げて歓迎できるのか。

ウイルスソフトなら、高価なものでもまだ許せるし、実際にここ数年、ずっと頼ってもいる。
でも、心の中で「規制」を歓迎している人には、びた一文もお金を払いたくない。
かといって、井の中の蛙にもなりたくない。

そんなわけで、矛盾に悩む毎日だ。