北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

ファンダイク展をめぐる朝日の記事と艾未未

今日の朝日新聞の夕刊の「海外通信」欄に、拙稿が掲載された。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11274712.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11274712

まぬけに聞こえるのを承知で、正直に取材した当日の事情を書くと、
以下のようになる。

ファンダイクの展覧会初日は、プレス向けのガイドがあり、私もその集団とともに展示を参観した。その時はまだ艾未未の作品は会場の三か所ほどに展示されていて、出口脇にも、堂々とピアノ作品が展示されていた。私は、「おお!艾未未の作品がこんなに堂々と展示されている」と驚き、正直、さすがユーレンス現代アートセンター(UCCA)だと感心した。展示の最後の〆が艾未未作品だなんて、勇気あるな、と。

会場を出る少し前、お子さんを連れた艾未未氏に会ったので、挨拶をした。その時、とくに怒っているようには見えなかった(内心は分からないが)。

だが、展示を観終え、会場の外に出てトイレ休憩をしていた時、どうも「怒った艾未未の指示によって」作品は運び出されたらしかった。

だが間抜けな私は、そのことにまったく気付かないまま、会場の外でUCCAの館長さんを見かけたので、挨拶をしようとした。その時、周囲の空気はちょっと異様で、館長のティナーリさんも、私とは顔見知りのはずなのに、どうも私が見えないふりをしているようだった。
「私、そこまでチビでもないでしょ!」と私はねばった。
だから、挨拶するまでひと苦労だった。
会場のプレス担当者に質問しても、「どのような意図で記事を書くの?」と何だかしつこかった。

確かに、私もUCCAに有利な記事ばかりを書いているわけじゃないけれど、それにしてもなんか変だな、と思いながら帰宅し、今回のことを記事にしようといろいろ調べている内に、作品の撤去事件のことを知った。そこで相棒に聞くと、相棒は当日、作品が撤去されているのを目の当たりにしたという。でも、その時は「貴重な作品だから、一日しか展示しないのだろう」と思ったらしい。

ああ、私たちってなんて間抜け!
しかも、情況が呑み込めたからといって、これをどう記事にするかは、とても難しい問題だった。
まさに、「板挟み」そのものだったからだ。

UCCAはとても頻繁に、大胆ないい展示をしている。中には、今の館長でなきゃとてもできなかっただろう、とされている展示なんかもある。でも、ああいう質の高い展示を続けようとするなら、ぜったいに当局に睨まれてはいけない。だから、艾未未に対しても、解説資料から名前は消すが展示作品は残す、という苦肉の策をとったのだろう。

とはいえ、理不尽な圧力で国内での存在感を消されようとしている艾未未のくやしさもよく分かる。確かに、艾ほどの肝っ玉のアーティストなら、過度の自己規制に縛られている今の社会に、いら立ち以外の何をも覚えないはずだ。業界内の友人に聞いても、艾未未にはUCCAへの恨みより、「ここで物申したい」という気持ちの方が強かったはずだ、との意見だった。

だがその結果、ファンダイクの回顧展は、あたかも艾未未のパフォーマンスの場のようになってしまった。

中国、および世界のアート界において、艾未未はたいへん重要な存在だ。作品も素晴らしいと思う。でも、ファンダイクの回顧展名「5000の名前」にも象徴されているように、中国や世界には艾以外にもたくさんのアーティストがいて、UCCAのような優れた展示の場を必要としている。中国の美術ファンにとってはなおさら、UCCAは貴重な存在だ。

そこで、最終的に記事での撤去事件への言及は簡潔なものにとどめ、あくまでキュレーターにこだわることにした。中国アート界を盛り上げた、陰のサポーターたちを、これを機に広く紹介したかったからだ。そこにはもちろん、艾未未も含まれる。
彼らは環境こそ大きく変わっても、恐らくはファンダイクの頃と変わらぬ情熱で、今も展覧会の実現に励んでいる。

振り返れば、私が最初に艾未未氏をインタビューしたのは、彼がファンダイクとともに設立した芸術文件倉庫を取材に行った2003年頃だった。前年にファンダイク氏は死去していたので、タッチの差で私はファンダイク氏には会えなかったのだが、代わりに出会えたのが艾未未氏だった。

当時の艾未未はまだ今ほど有名ではなかったが、その存在感に圧倒され、私はとっさの判断で、文件倉庫の取材を艾未未氏への取材に変更した。
つまり、ファンダイク氏がいて、なおかつ芸術文件倉庫があったおかげで、私は艾氏と知り合えたことになる。
その芸術文件倉庫も、いまや活動を止めて久しい。
そういうもろもろの意味も込めて、
今回のファンダイクの回顧展は私にとって印象深いものだった。