北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

土楼でのおしゃべりナイト その1

昨年の12月下旬、土楼に宿泊した時のこと。
クリスマスゆえ、宿泊客は少なく、土楼もガラガラ。
でもモノ好きは私たちだけではなかったとみえ、内モンゴル出身のカップルも泊っていた。
土楼横の食堂で出くわしたとき、深まる夕闇の中で時を過ごすあまりのもの寂しさに、話がはずんだ。

何と女の子の方は日本語を少し学んだことがあり、日本に帰国した日本語の先生を訪ねがてら、日本、しかも私の故郷の県に数カ月滞在したことがあるという。
私が日本人だと知ると、堰を切ったように、日本評が続々。その内容自体は驚くほどのものでもなかったが、問題は、彼氏は反日的とまでは言えないまでも、そこまで親日派でもなさそうだったこと。

「中国の文化が好きみたいだが、あなたの祖国が中国でやったことを考えた時、心の矛盾に陥らないのか」

とか、実に鋭いことを聞いてくる。
だが、彼女の方は、「日本の友好的な人は、ちゃんと償いの意をこのように表しているのよ」と見聞を列挙して、援護射撃。

「日本の家は面白いの。『ドラえもん』に出てくるのび太君の家みたいなのが、ほんとうにたくさんあるのよ!」

などなど、恐らく平素は彼氏の前では強く言えない日本のいいところ、面白いところを、まるで私が証明してくれるかのように、嬉しげに彼氏の前で並べ続けていた。もちろん、公共のトイレが複雑すぎるなど、変だと思うところも正直に言っていて、それもおおむね納得できるものだったけれど、

私は、嬉しい反面、複雑な気持ちになった。
実は以前も、こういうケースに出くわしたことがある。その時一緒に食事したカップルは、夫が知日派、妻が嫌日派。夫君の方は、そこまで日本嫌いでもなさそうだったが、妻と私の間で板挟みになって、かなり居心地が悪そうだった。

日中の関係悪化は、こういったカップル、または親子の間で、きっと価値観の微妙な対立を無数に生んだに違いない。
自分がいいと思う文化を、家族に認めてもらえないつらさ。私は『ドラえもん』風の家が好きだという女の子に、とても同情してしまった。

日本が某島を国有化したとき、彼女は私が反日デモのスローガンを見た時と同じ意味でショックだっただろう。
もちろん、両事件にはいろいろな事情や裏があり、単純に「嫌悪」だけの対立とはいえないけれど。

現在の両国には、日本人、中国人というカテゴリーだけでは括れない、こういった第三の極があって、その数は近年膨大なものに上っているということを、どれだけの人が重視しているだろうか。

何の共通利益もなく、ただお互いの文化に興味があるというだけでつながっている群れ、私や、ドラえもん好きの彼女が属するこの第三の極は、日中が深刻な敵対関係に陥れば、ただ非難を恐れて沈黙するしかないのかもしれない。
第三の極以外の日本人や中国人は、いざとなれば、それぞれ国益をたてに団結できるけれども、その時、私たちはただ取り残されるしかないのかな?

そんなことを考えさせれられた一夜だった。