北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

農村の現実を活写〜映画「石榴樹上結桜桃」


別に狙ったわけではないのだが、また「女強人(スーパーウーマン)」映画を観てしまった。

地方の農村の、任期を終えた女性村長孔繫花が、ふたたび村長選挙に挑む過程を扱った映画、「石榴樹上結桜桃」(A Cherry on a Pomegranate Tree)だ。

原作は李洱の同名小説。映画版は原作より構成が散漫という説もあるが、「ドイツのメンケル首相も推薦」と銘打たれただけあって、映画版でも、実務派女性幹部の苦悩はかなりリアリティをもって描かれていた。

舞台は、中国南部にあるらしき村、官荘村。よく知られているように、広東省では近年、比較的民主的な村長選挙を実現させた村が出現しており、その存在を十分連想させる設定になっている。(以下はネタバレ注意)

だが面白いのは、選挙そのものの性質より、再選を目指す孔繫花が、立候補の過程で立ち向かっていくさまざまな課題だ。計画出産の問題、企業の誘致や外資の導入をめぐる争い、過剰な接待、派閥別の勢力図……素人俳優を多数起用しているのか、演技こそ生硬だったが、描かれている問題はけっこうリアルで、農村に住んでいない私でも、現場はほんとうにこんな感じなんだろうな〜と寒気がした。

これらの課題に、繫花は持ち前の「裏ワザ」や正攻法でつぎつぎと立ち向かっていくのだが、最終的かつ決定的に繫花の将来を脅かし、その政治的業績に傷をつける存在として登場するのは、男児を産むため、一人っ子政策を無視し、こっそり隠れてしまう農婦だ。農村に根強く残る、男尊女卑の差別構造は、どんなに有能なキャリアウーマンも打ちのめしてしまう。

だが、繁花の夫が深圳の工場で4カ月分の給料を未払いにされても、泣き寝入りするしかなかったように、農村の人々自体、都市の住民と比較した場合、決定的な弱者であり、差別構造の底辺で暮らしている。そして、外資(本作では実際は海外で設立された中国人企業の資本)の投入を救世主のように待たざるを得ない存在でもある。

私が一番、気になったのは、苦労の末、一人っ子政策を無視した農婦をやっと見つけ出した時、孔繫花の心に何がよぎったか。何が彼女を号泣させたのか、だ。

農婦はすでに堕胎が不可能なほど、大きなおなかを抱えていた。
だから、まずは「もう、政策違反は免れない。私の政治生命も終わりだ」と思ったと考えるのが妥当だろう。
だが、因習に縛られているがゆえ、家畜並みの環境に身をひそめてまで、男児を待ち望まねばならなくなった女性に対する同情、その救い難い無知蒙昧ぶりへの無念の気持ちもあったはずだ。
同じ女性として、彼女に堕胎を強いることはとてもできない、という気持ちもあったかもしれない。

もちろん、実際の農村には、映画で描かれた以上の、もっと複雑な問題があるに違いない。だがそれにしても、ここまで農村の問題を率直にえぐった映画作品が大陸の映画館で全国上映され得たことは、かなりすごいことだと思う。
実際、中国でも「映画が上映できたこと自体が勝利」だと報道されている。
http://yule.sohu.com/20130404/n371719120.shtml

この映画をめぐる中国の観衆の反応、引き続き見守っていきたい。