北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

ドタバタ泣き笑いシリアス恋愛映画「北京遇上西雅図」 

けっこうヒットをしているとのことで、先日、映画館に観に行ってみた。
けっこう好きな女優である、湯唯が演じていたというのも、理由の一つ。

湯唯という女優さん、そこまで演技が上手だとは思わないし、どちらかというと個性派の美人だと思うのだけれど、独特のオーラがあって、つい、昔の角川映画のスターを思い出してしまう。

さて映画の内容はというと……。

(以下、ネタばれあり)
主人公はアメリカでこっそり出産をするため、北京からシアトルに渡った大金持ちの愛人、文佳佳(湯唯)。シアトルで素朴な性格の華僑、フランク(呉秀波)と出会った彼女は、彼との交流を通じて、自分をみつめなおしていく。

一応、ラブストーリー仕立て。下敷きには、シアトルを舞台にした著名映画、「めぐり逢えたら」があり、実際、映画の中でも、文佳佳はこの映画のファンということになっている。

だが、かといって単なるラブストーリーで終始するわけでもない。
まずスポットが当てられるのは、金ですべてを解決しようとする、現代人の多くがもつに至った価値観、または陥っている行動パターン。

そんな拝金主義に陥った人間が、「不法な目的による海外滞在中にさまざまなトラブルに巻き込まれる」という究極の状態に追い込まれることで、その虚飾をしだいに捨て去り、人間にとって本当に大切なことに気付く、という筋書きだ。

だが、この映画が面白いのは、そのどこかありふれた流れより、一見、ただの拝金主義者にみえて、実は愛情を大切にしている主人公の意外な面が明らかになっていく過程、そしてそのストーリーの合間合間に挟まれたウィットにみちた台詞や登場人物たちの背景から見えてくる、現代の社会や人間関係のさまざまな側面だろう。

産むことにも「許可証」が必要な大陸のシステム、華僑たちがたくましく営む出産ビジネス、資格社会の厳しさ、夫婦の経済力のアンバランスが産むひずみ……

でも、いろいろと厳しい世の中だけれど、主人公たちはアメリカでそれぞれ自分にとって大切な何かを見つけ、それらを手に入れるために前に進んでいく。

この映画を観て私が思いだしたのは、馮小剛が鄭暁竜とともに監督を手掛けた二十年前の人気ドラマ「北京人在紐約」(ニューヨークの北京人)。ニューヨークに渡った北京人夫婦が、苦労に苦労を重ね、果ては離婚という不幸まで乗り越えながら、それでも夢を実現させていく話だ。

こんな時世だけど、やっぱり北京人はアメリカが大好きなんだな〜と思った後、でもちょっと違いがあることに気付いた。今回の作品では、文佳佳もフランクも、決して自己実現のために自ら進んでアメリカに行ったわけではなく、むしろ仕方なく、受動的にアメリカに行ったことになっているからだ。最終的には、恐らく今後は二人ともアメリカに住むのだろうな、という終わり方だけれど、けっしてそれは強調されていない。

これこそが、二十年前と今の社会の違いなんだろうな、と感じ、改めて、この社会風潮のさりげない描き方、やっぱり馮小剛的だな、と思ったら、案の定、監督の薛暁露も「北京出身」の「元文学畑」だった。陳凱歌が監督した「北京ヴァイオリン」や前田知恵さんが主演した「秋雨」の脚本を書いた人で、以前の監督作には、あのジェット・リーが初めてアクション系以外の映画にチャレンジしたことで知られる「海洋天堂」などがある。

ぶっちゃけた話をすれば、今回の映画そのものには、けっこう無理なところもあって、私と友人の一致した意見は、主人公の前後の激変ぶりがあまりに情理に合わないことと、エンディングが「そりゃないだろう」ってくらいハッピー円満なこと。名作「めぐり逢えたら」ともかぶりすぎている。
あと、私個人としては、出産準備用ホームでの大陸人と台湾人の間の関係が、もう少しピリリとシニカルに描けていたらよかったのに、と思った。

とはいえ、文学畑出身の監督の第二作にしては、観客を飽きさせない完成度で、涙ほろりのシーンもあり、エンターテイメントとして十分に楽しめた。

台詞やシチュエーションの背景にあるものを読まなければ面白くないので、海外での受けはいまいちかもしれない。でも今どき、こんな社会派と人情物の混じったあいまい映画を敢えて丹念に練り上げる薛監督ってけっこう貴重な存在なんじゃないだろうか。
私としては、あんまりビッグになりすぎないうちに、もっともっと暴れてほしい監督さんだ。