北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

映画『黒四角』とボフミル・フラバル

奥原浩志監督の映画『黒四角』が、5月17日から日本各地で順次公開される。私も縁あって北京で鑑賞できたが、テーマや背景がとても親しみやすい上、いろんな意味で日中の映画人の力を結晶させているのが伝わり、力作だと思った。そこで、ぜひ多くの方に観ていただきたいと、ざっくりとした感じで恐縮だけれど、インタビューの形で紹介してみた。
http://www.shukousha.com/column/tada/3002/
インタビューでは、「たとえ相手が中国人ゲリラであったとしても、本来なら友達になれるはずの男だった、ということはあり得る」という監督の言葉が映画のテーマと重なり、印象的だった。

その言葉からはまた、チェコの作家ブフミル・フラバルの「厳重に監視された列車」(松籟社刊)のラストを思い出した。第二次世界大戦中、ドイツ兵とピストルで撃ち合ったチェコ人の鉄道員の主人公は、兵士と一緒に溝に転がり込んだ後、こう考える。「……この兵士も名声も地位も何も持たなかったのに、僕らは互いに撃ち合い、そして互いを死に至らしめた、もしどこか民間生活の中で逢ったなら、きっと互いに好きになり、いろいろと話し合えたかも知れないのに(飯島周氏訳)」

ちなみに今日、三里屯の本屋に行ったら、ボフミル・フラバルの訳書が2冊も平積みで並んでいて驚いた。店員に聞いたらもう一冊出てきた。その内の二冊は日本では出版されていない本だし、もう一冊も先月に出版されたばかり。
恐らくフラバル生誕100周年を記念してのことだろうけれど、これって地味ながら実はすごい事なのでは、と思った。
シリーズのリストを見ると、翻訳され出版された作品には「あまりにも騒がしい孤独」などもあったからだ。フラバルは、社会主義体制下のチェコでは長らく作品が出版できなかった、いわば元反体制作家。「あまりにも騒がしい孤独」はそういった作家の特徴が良く出た作品で、「検閲を通らなかったためにこの世に存在してはならなくなった、大量の書籍を処分する男」が主人公だ。男は処分しながらこっそり気に入った本を持ち帰り、学者に分けてやったり、コレクションしたりする。

ネットで検索してみると、さすがネット上でも人気が高い。この本の中国での出版が許されたのはどういう意味だろう、いや意味を考えなかったから許されたのだろうか、とかなり首をひねってしまった。

話が飛んで恐縮だけれど、
人類の永遠のテーマを追った『黒四角』。機会があったら、ぜひご覧ください。