北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

ちょっぴり分かった気持ち

以前、相棒もお世話になったカフェバーShala(建外SOHO西区17号地下一階)で現在、書道のグループ展「第三回翠林会書展」が開かれているというので、行ってみた(会期は7/31まで、日曜休み)。



みどりさんの作品、「逢」

私は書道に関してはずぶの素人なのだけれど、一字一字がとても個性的で、さすがだな、と感心。出品者は国籍も年齢も様々とのことだけれど、そういう差以外の、趣味や気質の差の方がよっぽど際立って見える。

完成された作品を観る面白さは別としても、「稽古」の方に関しては、私は正直、どこが面白いのか、それまでまったく分からなかった。

でも、どんな謎にも、ふと答えが連想できるタイミングってあるもの。

今回、一つの文字を書く際、上手に思い通りに書こうと何度も何度も同じ字を練習する、という話を主催者のみどりさんから聞いて、私は文字に関してそういう努力をほとんどしたことがないのにも関わらず、やっと書道の稽古の面白さが少し分かった気がした。

なぜなら、音楽と同じだから。

同じ曲を、もっと思い通りに演奏しようと、何度も何度も飽きずに吹いたり弾いたり。
ああ、あの曲は何百回となく吹いたな、あの曲は何度弾いても一回は転ぶんだよな、と、お気に入りの曲の数々を思い出す。

そうやって、好きな曲の練習にのめり込んだ時の陶酔感が生々しく胸に蘇ると、なんだ、書道も同じだったのか、とストンと理解できた。

芸術作品を鑑賞する時、こういった「表現時の心理」を想像してみることは、とても重要なんじゃないかと思う。ジャンルや習熟度は違っても、意外と共通点は多いはず。

そして、書道と音楽の共通点をさらに一歩踏み込んで連想するなら、一つの漢字は一つの曲、ということになる。
観る者、書く者によって音色が少しずつ異なるフレーズを奏でるのが漢字なら、仮名は前後との関係によって響きを変える音符?

こうなると、しばらく印象的な文字を見るたび、これはどんな音色を奏でているのだろう、と妄想してしまいそうだ。

というわけで、今後文字を前にしてじっと耳を澄ましている私がいても、咎めないでください。