北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

このたび、ARTSCAPE フォーカス欄に以下の記事を投稿させていただきました。
【北京】『変化と規制のなかでの模索』
http://artscape.jp/focus/10136845_1635.html

胡同の店というのはもともと、一つや二つ消えても、住人や常連でない限り、なかなか気づかないものです。
でも、ここ最近の変化は、通り沿いの店がごっそり無くなったり、「ドアだけ」になったりするレベル。

角の店が急になくなっていたので、曲がる角を一瞬迷ったり、
あれ、ここ本当にあの胡同?という感じで目をこすりたくなることもしばしば。

一応「復原」ということですが、窓の残し方や埋め方などには、
「ほんとうにこうだったの?」と言いたくなるような、かなり変てこな例もあります。


とくにこちらは、窓ガラスのない状態で営業。
この状態を目にした直後に大雨が降ったので、
大丈夫かな?ととても気の毒になりました。

某知人の家に至っては、2階の建て増し部分を取り壊した結果、
1階の天井に穴が空いてしまい、本来まともだった家が危険家屋になってしまった、とのこと。

もちろん、違法な建て増しや改造を取り締まること自体は悪くないのですが、そもそも住民の側にも、従来の決まりがあまりに実情や需要とかけ離れていたため、止むを得ず無視して改造した、という事情があるはず。

それでも取り締まるというなら、もっと早い段階で、実情に合わせて規定や基準を改めるなどのやりかたで、柔軟に行うべきだったでしょう。

実際、南鑼鼓巷などのケースは、繁華になった後、特別な条例が出て、メインの道の両側50メートルまでの商業利用が認められたりしました。

それに原状を回復といっても、今の管理組織ができたのは、改革開放が始まってしばらく経ってからのことなので、いつの状態の建物を「オリジナル」とするかは、住民によって意見が異なるようです。
権利が複雑なので、どこの誰が建設を許可すれば、正式で有効な許可となるのかも、けっこうあいまい。

つまり、下手をすれば、時代や管理者が変われば、「原状」の解釈そのものが変わってしまうかもしれない、ということです。

あいまいで権利意識や規制の緩い所が胡同の魅力でもあるわけですが、
今回のケースを目にして、私は結局、高さ制限や消防法などの明文化されたルールを管理者の「上」に置くこと、つまり法治の徹底が、平和に整備を行うための一番の決め手なのだということを、つくづくと身をもって感じました。もちろん、そのために損をする人や得をする人がつねにいるわけですが。

話変わって、
毎月担当させていただいている、NHKラジオ講座『まいにち中国語』のテキストの口絵&エッセイ、
7月号では「京西古道」を紹介しています。(すみません、以下の試し読みでは口絵しか見られません)
https://www.nhk-book.co.jp/tachiyomi.html?id=000009101072017&utm_source=nhk&utm_medium=mygogaku&utm_campaign=text2017
京西古道は、ラクダなどが石炭を北京へと運んだ道です。

ところで先ほど、「話変わって」と書きました。
実際に変えたいのは山々なのですが、
じつはこの京西古道も取材時、かなりの部分がシャッター通りになっていました。
郊外の農村部近くなので、さすがに「人口密度を減らすため」とは書かれず、
「大都市病」を治すための整備とされていました。

しかも、
この「京西古道」の記事を書いた直後に、取材中におじゃましたお店の人から、
「立ち退かなくてはならなくなった」との知らせが……。

今の中国の街並みは「一切無常」。情況は刻々と変わる。
ただ街を観察しているだけなのに、
まるで何らかの正体不明な生き物を、
「次は何に化けるんだ?」と心配しながら
追っかけているような気分です。