北京・胡同逍遥

北京、胡同で暮らした十数年間の雑記 by 多田麻美/ Asami Tada

青い鳥ならぬ青い魚in大連

今回の旅はハルビンを離れた途端、全般的に食事運がおもわしくない。
おとといも一日一食だったけれど、きのうもまた昼ご飯を抜いたままで大連に到着。
深夜に食べた餃子がそこそこおいしかったのが大きな救い。
めったに飲まないファンタが、五臓六腑にしみ渡った。

今日は日本統治時代の建物を見て回った。
その詳細はまた今度書くので、今日はその終わりの部分だけ。

一日の疲れを海鮮料理で癒そうと、市バスで宿からそう遠くない所に戻り、ガイドブックに載っている海鮮料理が食べられる通りを探した。
いつもの私たちのパターンだと、食事はいつも情況次第の運任せ。
つまり、時間がある時に目についた店にふらっと入るパターンがほとんど。

だけど、今回はめずらしくガイドブックの「お勧めの店」を探してみた。
だが、現地の人に質問しまくり、その案内に従って探しても、なかなか見つからない。

最初に聞いた人が、
「この辺で海鮮を食べるなら、○○市場がいいよ」
と言うので、
ガイドブックはとりあえず無視して、そちらを探すも、
次に出会った人が、
「ああ、その市場なら、一年前に取り壊されてもうないよ」
と言う。

大連の「猛開発」ぶりは、その日も嫌というほど目にしていたけど、
夕食まで左右されるとは思わなかった。

さんざん歩いても見つからないので、歩き疲れた私は
「もう見つからないよ。きっとガイドブックの市場も再開発でなくなっちゃったんだよ〜」と音をあげ、そこらへんの店に入ろうよ、と主張。
だが、海の魚が好きな相棒は、一度抱いた夢をどうしても捨てきれないのか、
「いや、もうちょっと」
と前に進む。

すると、見慣れた通りに出た。
「ここだ!」と相棒が嬉しそうに叫ぶ。
なんとそこは、今朝、日本人街の痕跡を求めてさまよい歩いた通りだった。
進んで行くと、屋台の明かりがどんどんとまばゆさを増していく。
風邪気味の鼻にも、串焼きの香りが感じられるようになる。

朝のしぶくうらぶれた様子とはうって変わり、そこは賑やかでキラキラとした海鮮料理街になっていた。しかも、泊まっている宿のほんとうにすぐ近く。

店の多くは、店先に並ぶ採れたての海鮮を、希望の調理法で調理してもらうシステム。
裸電球の下の「青い鳥」ならぬ「青いさんま」を見て、私はつい「幸せって実はすごく身近なところにあったりするんだよね」としみじみ。
ちなみに、そのさんまは、まことにスパイシーな焼き魚となって、私たちの胃袋に収まったのでした。